アゴタ・クリフトフの『悪童日記』を読み終えた。
1月に、78歳になる友人から、「この本は面白いわよ」と盛んに言われた。なぜ、どうして面白いと思われたのか、詳しく聞く時間がなかった。「私が預かって読んでみます」と言って借りてきた。最初は4冊も一度に借りて読めるだろうかと思った。一番初めに出版された『悪童日記』がなくて、その次からの4冊だったので、最も新しい作品から読んでいこうと決めた。そうすれば作者の原点にたどり着けるのではないかと考えたのだ。この方法は正しかったと思う。
アゴタ・クリフトフは、1935年にハンガリーで生まれている。彼女の母国はナチスドイツの支配下にあり、第2次大戦後はソ連圏に組み込まれた。ドイツ軍がソ連軍に追われていく様子を彼女は9歳か10歳で見ていたはずだ。ハンガリー動乱が起きたのは1956年、21歳時だ。この時、彼女はすでに結婚し子どもがいた。夫だった高校教師は反体制家だったので、一家は弾圧を逃れて国境を越えた。そしてたどり着いたスイスでの過酷な生活。10歳から25歳くらいまでの見聞が彼女の小説のモチーフとなっている。
4冊も抱え込んだのに、確かに「すぐ読め」た。文字数の問題というより、展開が早いのだと思う。翻訳者は全て堀茂樹さんという人だが、この人の訳がよいのかも知れない。文節がとても短いのだ。私は自分が地域新聞を作るようになって、文章をできるだけ短く書くことに努めた。短く文を書くことは容易いようだが、それで内容がわかるように伝えなくてはならないので、じつは訓練がいる。短い文なら読者は先へ先へと読んでくれる。
私は学生の頃、高橋和巳という小説家が好きで、彼のような長々しい文章に憧れた。長々しい文章は重厚な気がしたのだ。しかし、読んでいくとどこで始まったのか、どこがどうなのか、わからなくなり、再度読み返さなくてはならない。小説のスタイルとしては面白かったけれど、新聞のような「報道」では、客観性と正確性が大事なので、どうしても簡潔な文章にならざるを得ない。
アゴタ・クリフトフの作品は簡潔でわかりやすい。確かに一気に読めてしまう。彼女が作品を通して何が言いたかったのか、実はまだよくつかめていない。戦争の悲惨さなのか、人が生きることのしたたかさなのか、哀れなのか、たとえどのようなことであれ、私は大いに触発された。私は彼女のような小説家にはなれないかも知れないが、彼女が生きてきた時代を物語ったように、自分の生涯で見たことを語ることはできるかも知れない。そんな希望を与えてくれた。
物書き志望の友人にもぜひ読んで欲しい作品である。
1月に、78歳になる友人から、「この本は面白いわよ」と盛んに言われた。なぜ、どうして面白いと思われたのか、詳しく聞く時間がなかった。「私が預かって読んでみます」と言って借りてきた。最初は4冊も一度に借りて読めるだろうかと思った。一番初めに出版された『悪童日記』がなくて、その次からの4冊だったので、最も新しい作品から読んでいこうと決めた。そうすれば作者の原点にたどり着けるのではないかと考えたのだ。この方法は正しかったと思う。
アゴタ・クリフトフは、1935年にハンガリーで生まれている。彼女の母国はナチスドイツの支配下にあり、第2次大戦後はソ連圏に組み込まれた。ドイツ軍がソ連軍に追われていく様子を彼女は9歳か10歳で見ていたはずだ。ハンガリー動乱が起きたのは1956年、21歳時だ。この時、彼女はすでに結婚し子どもがいた。夫だった高校教師は反体制家だったので、一家は弾圧を逃れて国境を越えた。そしてたどり着いたスイスでの過酷な生活。10歳から25歳くらいまでの見聞が彼女の小説のモチーフとなっている。
4冊も抱え込んだのに、確かに「すぐ読め」た。文字数の問題というより、展開が早いのだと思う。翻訳者は全て堀茂樹さんという人だが、この人の訳がよいのかも知れない。文節がとても短いのだ。私は自分が地域新聞を作るようになって、文章をできるだけ短く書くことに努めた。短く文を書くことは容易いようだが、それで内容がわかるように伝えなくてはならないので、じつは訓練がいる。短い文なら読者は先へ先へと読んでくれる。
私は学生の頃、高橋和巳という小説家が好きで、彼のような長々しい文章に憧れた。長々しい文章は重厚な気がしたのだ。しかし、読んでいくとどこで始まったのか、どこがどうなのか、わからなくなり、再度読み返さなくてはならない。小説のスタイルとしては面白かったけれど、新聞のような「報道」では、客観性と正確性が大事なので、どうしても簡潔な文章にならざるを得ない。
アゴタ・クリフトフの作品は簡潔でわかりやすい。確かに一気に読めてしまう。彼女が作品を通して何が言いたかったのか、実はまだよくつかめていない。戦争の悲惨さなのか、人が生きることのしたたかさなのか、哀れなのか、たとえどのようなことであれ、私は大いに触発された。私は彼女のような小説家にはなれないかも知れないが、彼女が生きてきた時代を物語ったように、自分の生涯で見たことを語ることはできるかも知れない。そんな希望を与えてくれた。
物書き志望の友人にもぜひ読んで欲しい作品である。