昨夜はテレビドラマ『花より男子(ダンゴ)』の最終回だった。
孫娘は「絶対しゃべらないでね」と念を押して、テレビの前で構えていた。テレビを見ているとつい、ぶつぶつと私が言うので、通告してきたのだ。「ああいいよ、絶対何も言わないから」と約束した。私は一人、テレビから離れてワインを飲みながら、それでも時々画面を見ていた。しかし、やっぱり腹が立ってきた。
年老いた私には全く馬鹿馬鹿しいとしか思えない。韓国ドラマ『冬のソナタ』と比較すること自体が間違っているのだろうが、その片鱗もない。もう少し見習ったらと思っていたら、『冬ソナ』にあったような場面も出てくる。場面のパクリではなく、課題の深みなのになあーと思う。『冬ソナ』も日本のテレビドラマで山口百恵さんがやっていた『赤いなんとか(題は忘れた)』の影響を受けていると思うが、日本のドラマよりも深みがあった。
『花ダン』は若い男女の恋愛をテーマにしている。大金持ちの4人の男子の友情も、女の子同士の恋愛の駆け引きや裏切りや友情も出てくる。小学校の女の子たちが夢中になっているのだから、無理なのかもしれないが、あまりにも深みがない。原作はマンガだそうだが、マンガでも文学作品並みに感動的なものもある。上村一夫の『同棲時代』はマンガとは思えなかった。少女マンガの『キャンデーキャンデー』も味合いがあったし、テレビドラマの『東京ラブストーリー』も原作はマンガだったが言葉に重みがあった。
『花ダン』では、主人公の男を好きになった女の子がその男にいろいろと尽くすのだが、主人公の男は「お前のやることはみんな自分のためじゃーないか」と女の子を非難する。馬鹿じゃーないかと思う。愛するっていうのは全て自分のためだ。自分のためでなく愛することができるのは神しかいない。だからみんな苦しむ。愛することは同時にお互いを傷つけ合うことだ。どうしてそうなるのかわからないが、愛すれば愛するほど深く傷つけ合うことになってしまう。先日書いた『オセロ』は愛したがために殺してしまう。
それほどに、愛することは切ないだけでなく苦しいものなのに、主人公の男女の恋愛は空回りした時にやたらと怒鳴りあっているに過ぎない。「お前はオレの運命の女だ。やっぱりオレたちは運命共同体だ」の主人公の男のセリフに、孫娘は「キャーしびれる」と大喜びだ。全くキザなセリフだが、おそらく愛する人に出会い、そして愛が成就するなら、誰もがそう思うだろう。一つの愛が成就した時、その次はどうなるのか。なぜそこが終着点にならないのか。愛する人と一緒になるという望みが叶ったのに、愛はそれで終わりとはならない。いつまで経っても同じことを繰り返して生きていく、それが人生なんだと知るにはまだまだ時間がかかる。
孫娘の年頃は「恋愛」が最大の関心事のようだが、何度かの哀しい思いを経て、人をより深く愛することができるようになっていくのだろう。孫娘がどんな人とどんな恋愛をすることになるのか、心配でもあり楽しみでもある。
孫娘は「絶対しゃべらないでね」と念を押して、テレビの前で構えていた。テレビを見ているとつい、ぶつぶつと私が言うので、通告してきたのだ。「ああいいよ、絶対何も言わないから」と約束した。私は一人、テレビから離れてワインを飲みながら、それでも時々画面を見ていた。しかし、やっぱり腹が立ってきた。
年老いた私には全く馬鹿馬鹿しいとしか思えない。韓国ドラマ『冬のソナタ』と比較すること自体が間違っているのだろうが、その片鱗もない。もう少し見習ったらと思っていたら、『冬ソナ』にあったような場面も出てくる。場面のパクリではなく、課題の深みなのになあーと思う。『冬ソナ』も日本のテレビドラマで山口百恵さんがやっていた『赤いなんとか(題は忘れた)』の影響を受けていると思うが、日本のドラマよりも深みがあった。
『花ダン』は若い男女の恋愛をテーマにしている。大金持ちの4人の男子の友情も、女の子同士の恋愛の駆け引きや裏切りや友情も出てくる。小学校の女の子たちが夢中になっているのだから、無理なのかもしれないが、あまりにも深みがない。原作はマンガだそうだが、マンガでも文学作品並みに感動的なものもある。上村一夫の『同棲時代』はマンガとは思えなかった。少女マンガの『キャンデーキャンデー』も味合いがあったし、テレビドラマの『東京ラブストーリー』も原作はマンガだったが言葉に重みがあった。
『花ダン』では、主人公の男を好きになった女の子がその男にいろいろと尽くすのだが、主人公の男は「お前のやることはみんな自分のためじゃーないか」と女の子を非難する。馬鹿じゃーないかと思う。愛するっていうのは全て自分のためだ。自分のためでなく愛することができるのは神しかいない。だからみんな苦しむ。愛することは同時にお互いを傷つけ合うことだ。どうしてそうなるのかわからないが、愛すれば愛するほど深く傷つけ合うことになってしまう。先日書いた『オセロ』は愛したがために殺してしまう。
それほどに、愛することは切ないだけでなく苦しいものなのに、主人公の男女の恋愛は空回りした時にやたらと怒鳴りあっているに過ぎない。「お前はオレの運命の女だ。やっぱりオレたちは運命共同体だ」の主人公の男のセリフに、孫娘は「キャーしびれる」と大喜びだ。全くキザなセリフだが、おそらく愛する人に出会い、そして愛が成就するなら、誰もがそう思うだろう。一つの愛が成就した時、その次はどうなるのか。なぜそこが終着点にならないのか。愛する人と一緒になるという望みが叶ったのに、愛はそれで終わりとはならない。いつまで経っても同じことを繰り返して生きていく、それが人生なんだと知るにはまだまだ時間がかかる。
孫娘の年頃は「恋愛」が最大の関心事のようだが、何度かの哀しい思いを経て、人をより深く愛することができるようになっていくのだろう。孫娘がどんな人とどんな恋愛をすることになるのか、心配でもあり楽しみでもある。