友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中国名山紀行

2008年02月20日 21時41分20秒 | Weblog
 NHKテレビで『中国名山紀行』を見ていて、すごいなと思った。黄山という山を取り上げていたが、標高は1800メートルくらいの山だ。その山は花崗岩でできていて、岩のくぼみに風で飛ばされた松の実が根を張り、岩と松とが絶妙の風景を作り出していた。いわゆる山水画の世界である。

 奇妙な岩が天に向かってそびえ立ち、そこかしこに松が、岩のわずかな隙間に根を張って、これまた天に向かって伸びている。それがまた雲海の中で、不思議な世界を演出している。幻想的なモノクロの濃淡が支配する、水墨画がものすごく大きなスケールで広がっている。

 アメリカのヨセミテ渓谷に出かけた時を思い出した。シエラネバタ山脈は日本の山々と全く違う景色を作り出していた。ガイドが「ここにしばらくいると人生観が変る」と説明してくれたが、確かにそのとおりだと思った。スケールの大きさが全く違う。見渡す限り、どこまでも山々が続き、その広大さに圧倒された。

 ヨセミテ渓谷で一番のポイントといわれたグレーシャーポイントから見た渓谷は絶品だった。これほどの美しい景色はない、そんな気がした。それはこの世のものと思えないような景色だった。アメリカの大きな世界に驚嘆した。スケールが大きいという点で、この黄山も東洋の美ではないだろうか。ぜひ、この目で見たいものだと思った。

 この頃よくテレビの世界遺産で紹介されている中国の四川省にある九寨溝(きゅうさいこう)は、省都である成都の北400キロに位置する秘境にあり、400メートルを越す深山と原始林を背景に、宝石のような大小100余りりの澄み切った湖沼と渓流、瀑布が延べ50キロにもわたって連なっているという。何年か前にテレビで、森の中を流れるその様子を見てこんなところが地球上にあったのかと驚いた。

 世界には驚くべき美しい光景がまだ残っている。こうした風景を見るならば、確かに人は「人生観が変わる」だろう。自然の大きさに比べ、人間の小さな存在に気が付くだろう。人と人との諍い、民族と民族の争い、国と国との戦争、そんなスケールの小さなことが恥ずかしく思えるはずだ。

 もう一度ヨセミテは見てみたいし、九寨溝にも行ってみたい。黄山にも登りたいが、高所恐怖症の私にはちょっと無理なようなのでやめておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする