友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘の友だち2人来る

2008年07月21日 20時00分40秒 | Weblog
 昨日の朝は孫娘が、今朝はカミさんが午前6時30分に出かけるので駅まで送っていった。同年の友だちと清里まで行くという。戻ってくると、孫娘が水泳の早朝練習のために出かけて行った。朝早い時間だから丁度よいと思い、昨日の市民講座を知らせるチラシを片付けて回っていると、朝のジョギングの人に出会う。午前7時前なのに、外気温はもうかなり高くなってきているのがわかる。

 家に帰り、花に水を遣る。それから一人で朝食だ。孫娘はプールから戻ると、もう友だちが呼びに来ていた。これから名古屋市立美術館へ「『版の誘惑展』を見に出かける」と言う。「お昼は?」と聞くと、「みんなで食べる」と答える。それはそれでよいだろう。すると昼食も一人で食べるのか。私は一人で食事を作って食べることはできる。学生時代から食事を作ることに抵抗はない。冷蔵庫を見れば、じゃーこうしようと食べるものを考えられる。

 それでも一人で食べるのは寂しいものだ。テレビをつけていれば、それなりに賑やかではあるが、会話をしながら食べるわけではないから、ただひたすら食べることになる。こんな日に限って、誰からも電話がない。午後1時過ぎて孫娘たちが帰ってきた。「この部屋で食事をしていいか?」と聞くから、本当はイヤだけれどそうは言えないから、「じゃーちょっと花の肥料を買ってくるから」と家を出た。

 2時間近く経っているから、孫娘の友だちはもう帰っているかなと思いながら玄関のドアを開けると、家の中は締め切ってある。冷房が入っているのだ。北の私の部屋を見ると、食べたものの後始末が出来ていない。南の居間に行くと、3人が子豚のようにひっくり返り、ともにケイタイを上に突き出して寝転がっている。どう見ても学校生活からはみ出している女の子の服装でありスタイルだ。「食べたものは片付ける。すぐにやりなさい」と言ったのだが、私がイライラしているのは伝わってくれただろうか。

 娘たちの時もヤキモキしたが、孫娘の友だちのような子はいなかった。キャーキャーワイワイとうるさかったけれど、その中で一番うるさく騒いでいるのが自分の娘ではどうしようもなかった。どの子も成績はトップクラスとはいかなくても、礼儀はわきまえていた。孫娘は、中1の時よりもそして1学期の時よりも、成績が下がってきている。先ほど彼女の部屋をちょっと見たけれど、落ち着いて勉強できる雰囲気ではない。母親もいない、父親もいない。自分ひとりでコツコツと勉強するには、相当に強い意志が働かなくてはダメだろう。今、彼女は安易な方へ流されようとしているのがわかる。

 人は流されてみて気がつくが、その時はもう取り返しが出来ないから、それならそこから自分の道を見つけようとすればいい。人はいつも悔いばかりが残る。悔いを恨むくらいなら、開き直って新しく楽しいことをすればいい。孫娘の人生を私が歩くことは出来ない。私は私の人生しか歩けない。みんな同じで、みんな違う。それでいい。
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