福田康夫総理大臣が辞任した。辞任したけれど、キムタク総理のように内閣総辞職、衆議院解散をしたわけではないので、引き続き政権与党である自民党の新しい総裁が首相を務めることになる。安倍前総理も福田総理も、国民が投票してなった総理大臣ではないから、誠に気楽に「辞任することに決めました」などと言う。国民を馬鹿にした発言だが、その責任を問う自民党議員はいない。
これは議院内閣制の欠点である。議会で多数を占めた政党が総理大臣となる議院内閣制は、総理大臣と国民の距離が遠いことは事実だ。国会が解散するのは、任期満了以外には衆議院で内閣不信任とされた時しかない。先の国会で、参議院が福田内閣への不信任案を可決しても、福田さんが辞任しなかったのはこのためだ。
総理大臣に国会の解散権があるように言う人がいるのは、憲法は第7条で、天皇の国事行為として「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ(として3つ目に)、衆議院を解散すること」と定めているためだろう。けれども、だからと言って、政府の有利な時期に国会を解散することに対して、「首相が好き勝手に解散するのは院の無視だ」と苦言を呈した衆議院議長もいた。
安倍さんにしても福田さんにしても、やはり3世2世議員だなと私は思う。余りにも坊ちゃん過ぎるからだ。参議院で野党が与党を上回ったのだから、当然これまでとは違う国会運営となる。安倍さんも福田さんも「野党が反対ばかりするから審議が出来ない」とぼやくけれど、そんなことは当たり前のことではないか。もし仮に立場が逆転していれば、安倍さんも福田さんも当然同じことをしていたであろう。
政党が政権を取ろうとするのは当たり前で、そのために政府与党の政策や運営に逆らうのも当たり前のことだ。私の友だちが「民主党が政権を取ったところで同じですよ」と言うから、「ねじれ国会だからこそ、相手の言い分を受け入れればいいんじゃないですか。そうしなければ、自民党も仮に民主党が政権をとっても、同じですね」と私は答えた。ねじれ国会が悪いように安倍さんも福田さんも言うけれど、自分たちの政策が通らないのであれば、相手が求めるところまで妥協すればいいのではないか。もし仮に絶対妥協できないものであれば徹底抗戦して、国民にどちらを支持するかを問うことが政党政治ではないかと思う。
政党政治が民主主義の究極の形とは思わないけれど、少なくとも政党政治の現在では、各政党がそれぞれに政策を競うことが大事だし、それをぜひとも国民の見えるところでやってもらいたい。そうすれば、国民がどの政党に政権を託すべきかがよく見えてくる。
何度も言うけれど、自民党はその役割を終えた政党だ。既に末期的な症状を呈しているのに、生きながらえさせてしまったのは「小泉旋風」に酔いしれた国民の甘さだ。私たちが国民主権の民主主義をこれからどう育てていくかが問われている。
これは議院内閣制の欠点である。議会で多数を占めた政党が総理大臣となる議院内閣制は、総理大臣と国民の距離が遠いことは事実だ。国会が解散するのは、任期満了以外には衆議院で内閣不信任とされた時しかない。先の国会で、参議院が福田内閣への不信任案を可決しても、福田さんが辞任しなかったのはこのためだ。
総理大臣に国会の解散権があるように言う人がいるのは、憲法は第7条で、天皇の国事行為として「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ(として3つ目に)、衆議院を解散すること」と定めているためだろう。けれども、だからと言って、政府の有利な時期に国会を解散することに対して、「首相が好き勝手に解散するのは院の無視だ」と苦言を呈した衆議院議長もいた。
安倍さんにしても福田さんにしても、やはり3世2世議員だなと私は思う。余りにも坊ちゃん過ぎるからだ。参議院で野党が与党を上回ったのだから、当然これまでとは違う国会運営となる。安倍さんも福田さんも「野党が反対ばかりするから審議が出来ない」とぼやくけれど、そんなことは当たり前のことではないか。もし仮に立場が逆転していれば、安倍さんも福田さんも当然同じことをしていたであろう。
政党が政権を取ろうとするのは当たり前で、そのために政府与党の政策や運営に逆らうのも当たり前のことだ。私の友だちが「民主党が政権を取ったところで同じですよ」と言うから、「ねじれ国会だからこそ、相手の言い分を受け入れればいいんじゃないですか。そうしなければ、自民党も仮に民主党が政権をとっても、同じですね」と私は答えた。ねじれ国会が悪いように安倍さんも福田さんも言うけれど、自分たちの政策が通らないのであれば、相手が求めるところまで妥協すればいいのではないか。もし仮に絶対妥協できないものであれば徹底抗戦して、国民にどちらを支持するかを問うことが政党政治ではないかと思う。
政党政治が民主主義の究極の形とは思わないけれど、少なくとも政党政治の現在では、各政党がそれぞれに政策を競うことが大事だし、それをぜひとも国民の見えるところでやってもらいたい。そうすれば、国民がどの政党に政権を託すべきかがよく見えてくる。
何度も言うけれど、自民党はその役割を終えた政党だ。既に末期的な症状を呈しているのに、生きながらえさせてしまったのは「小泉旋風」に酔いしれた国民の甘さだ。私たちが国民主権の民主主義をこれからどう育てていくかが問われている。