友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中秋の名月

2008年09月13日 22時07分09秒 | Weblog
 明日は中秋の名月だそうだ。空が澄んでくると月が綺麗に見える。旧暦の8月15日に月を鑑賞する風習はいつごろから始まったのだろう。中国にはかなり古くから月見が行なわれ、月餅、ススキ、サトイモなどを供えたようだ。日本では8月15日だけでなく9月13日にも月見を行う風習があり、「十三夜」とか「後の月」とか呼ばれている。真っ盛りの時よりもまだその一歩手前とか、真っ盛りが過ぎようとするその始まりとか、いかにも日本人らしい季節のとらえ方だと思う。

 それにしても、月は太陽に比べてなぜかロマンチックな気持ちにさせてくれる。「この月をあの人も見ている」などと、当たり前のことに深い意味を与えて、自らの恋心に酔わせてくれる。好きな人にたとえ今晩は会えなくても、今、自分が見ているこの月をあの人も見ていると勝手に思い込むことで、いかにも二人の共通の時間・空間を作り出しているというわけだ。

 確かに、月を眺めていると、時間がゆったりと過ぎていくような気がする。そしてまた、愛する人のことを思い浮かべる気持ちがよくわかる。けれども、現代人はせっかちだ。結論を早く求めようとする。今日の中日新聞の『中日春秋』の書き出しは興味深かった。「きっと、時間には限りがないが、人生には限りがあるからであろう。人は急ぐようにできている気がする」。「エレベーターでは、特にその必要がなくても“閉”ボタンを押している。ほとんど無自覚に、急いでしまっていることは少なくない。何かをもらうような時でも、数は十分、もらいっぱぐれることはない、と分かっていても人より先にほしがったりする。“遅い”よりも“早い”が、“後”より“先”が好きなのだ」。

 『中日春秋』の結論は、「社会も政治も意識して“長い目”を持つよう心掛けるべきなのだろう」ことにあるが、私はどうして「“遅い”よりも“早い”が、“後”より“先”が好きなのだ」ろうかということに関心が向いた。産業革命以後の人類が目指した大きなテーマは時間を短くすることだった。その目的はほぼ達成されたけれど、それで人類は幸せを手に入れたのだろうか。

 月を眺めながら、恋しい人のことを思い巡らしていた方が人は幸せになれるのではないだろうか。
コメント (1)
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