朝、国立海浜公園へ出かけて行ったけれど、やはり長蛇の列で、これでは駐車場すら到達できそうになかった。次女に「諦めて帰る」と告げる。そこから常磐自動車道に乗り、ひたすら東京へと向かう。都心から出かける車は多くても、都心に向かう車は少ない。きわめてスムーズに高井戸までは進むことが出来た。東京は渋滞が当たり前のところだから、誰もがイライラした様子を表さない。走っては止まり、止まっては走って、杉並・世田谷と通り抜ける。
東京はケヤキ並木が多くあり、新緑に包まれていた。ツツジや場所によってはフジが咲き誇り、人々は5月の連休を楽しみにしているようにすら思える。それでもやっと、調布まで車を進めることが出来た。ここまでくれば後は中央道へ乗り込むばかりだ。ところが八王子から相模湖辺りまでがノロノロ運転である。上り坂のための自然渋滞だ。相模湖を過ぎると、突端に車はスムーズに走る。
甲府を抜ければ諏訪まですぐだ。諏訪から伊那へ、そして恵那山トンネルを抜けると中津川だ。ここまでくればもう家までは目と鼻の先だ。孫娘に、「今日はどうしていますか?」とメールをする。昨夜、次女の家で、買ってきたタコを私が料理した。次女は気持ち悪いと言いながら、それを写メールで孫娘に送ったのだ。孫娘は気持ち悪いと言わずに、「ああ、いいな」と返信してきた。だから、今日は何をしているのかと気になったのだ。
ところが家族4人で横浜へ来ていると返信があった。しかも、渋滞で帰りは夜中になりそうだとある。そうだろう。私も昨夜からのニュースで、東名高速は渋滞となりそうだというので、やはり帰りも中央道を走ることにしたのだ。久しぶりに高速道路を長距離走ったが、無茶な車の運転には出会わなかった。高速道路が出来た頃はものすごいスピードで走る車が結構いたけれど、そういう無茶な運転は本当に少ない。
確かに昔に比べれば車の量が圧倒的に多い。そのために、無茶な運転が出来ないのかもしれない。どこのサービスエリアもパーキングも込み合っていて、整理をする係りがテキパキと裁いていた。おかげで、嫌な思いもせずに車の旅を楽しめた。天候にも恵まれ、そして適当な渋滞がかえって安全運転を作り出していた。そうか、渋滞という一見マイナスの要因が実は安全運転というプラスを生み出していたのだと知った。
そういうことは、私たちの社会ではあるように思う。昨夜も次女夫婦を相手に、私たちがどんな風に子育てをしてきたのかから始まって、これからの社会がどうなっていくのか、種々多様な話になってしまった。今日の最も恵まれた社会が逆の世界への入り口であったり、だからこそ、それはこれまでの社会とは違う構造への変化への入り口でもあるという、そういうマイナスとプラスが場所を入れ替える時期に至っている。そんな気もした。
東京はケヤキ並木が多くあり、新緑に包まれていた。ツツジや場所によってはフジが咲き誇り、人々は5月の連休を楽しみにしているようにすら思える。それでもやっと、調布まで車を進めることが出来た。ここまでくれば後は中央道へ乗り込むばかりだ。ところが八王子から相模湖辺りまでがノロノロ運転である。上り坂のための自然渋滞だ。相模湖を過ぎると、突端に車はスムーズに走る。
甲府を抜ければ諏訪まですぐだ。諏訪から伊那へ、そして恵那山トンネルを抜けると中津川だ。ここまでくればもう家までは目と鼻の先だ。孫娘に、「今日はどうしていますか?」とメールをする。昨夜、次女の家で、買ってきたタコを私が料理した。次女は気持ち悪いと言いながら、それを写メールで孫娘に送ったのだ。孫娘は気持ち悪いと言わずに、「ああ、いいな」と返信してきた。だから、今日は何をしているのかと気になったのだ。
ところが家族4人で横浜へ来ていると返信があった。しかも、渋滞で帰りは夜中になりそうだとある。そうだろう。私も昨夜からのニュースで、東名高速は渋滞となりそうだというので、やはり帰りも中央道を走ることにしたのだ。久しぶりに高速道路を長距離走ったが、無茶な車の運転には出会わなかった。高速道路が出来た頃はものすごいスピードで走る車が結構いたけれど、そういう無茶な運転は本当に少ない。
確かに昔に比べれば車の量が圧倒的に多い。そのために、無茶な運転が出来ないのかもしれない。どこのサービスエリアもパーキングも込み合っていて、整理をする係りがテキパキと裁いていた。おかげで、嫌な思いもせずに車の旅を楽しめた。天候にも恵まれ、そして適当な渋滞がかえって安全運転を作り出していた。そうか、渋滞という一見マイナスの要因が実は安全運転というプラスを生み出していたのだと知った。
そういうことは、私たちの社会ではあるように思う。昨夜も次女夫婦を相手に、私たちがどんな風に子育てをしてきたのかから始まって、これからの社会がどうなっていくのか、種々多様な話になってしまった。今日の最も恵まれた社会が逆の世界への入り口であったり、だからこそ、それはこれまでの社会とは違う構造への変化への入り口でもあるという、そういうマイナスとプラスが場所を入れ替える時期に至っている。そんな気もした。