友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

花粉症なのかな

2010年05月06日 19時59分12秒 | Weblog
 夕方から雨が降る天気予報だったから、種まきには丁度よいと思って、朝から作業に取り掛かった。一昨年までは、私が好きなサルビアの種を発芽させて植え付けていたが、昨年は補修工事のために植えられなかった。その一昨年の種をそのまま取っておいたので、それを撒くことにした。サルビアの種は1ミリほどの小さなものなので、花房をビニール袋に入れて乾燥させ、花ごと揉み解して、それを培養土に撒き、その上から土を少し撒いておく。

 農業を専門にする友人が、「サルビアの発芽率は悪い」と教えてくれたけれど、一昨年までは我が家の庭を飾るには充分すぎるほど育った。苗をカップに移して100本近く差し上げた。今年も同じようにうまくいくとは限らないのが自然相手の難しいところだ。3月に井戸掘りをしたところも、未だにトラブルが続いて完成していない。昨年、デイサービスを行なっている家で掘った井戸を今日見てきたところ、手押しポンプの方の水が出ない。呼び水を送ってやってみたけれど、やはり出ない。

 宿題が2つもできてしまった。井戸を掘ってと言われているところがまだ何件かあるが、トラブルが解決できなければ進むことができない。自然相手は難しい。私もこのところの農作業のためか、お昼ごろからクシャミと鼻水が止まらず頭がボーッとしている。おかしいな、私の花粉症は秋口が主で、初夏はなかったはずなのに。屋外で作業を始めるとなかなか手加減ができなくて、ついやりすぎてしまう。そういえば、身体が痛い。あれくらいの作業で痛くなるはずがないと思い込んでいたことがこの結果だ。

 来週に、私が親しくしている人のお姉さんがアメリカから帰国する。5年前にアメリカへみんなで行った時、一緒に旅してお世話になった人である。歓迎会をどこでやろうという話から、広さから考えれば我が家のルーフバルコニーが一番良いのではということになった。そのためにも、もう少し庭を楽しんでもらえるようにしておかなくてはならない。どうしようかと考えると楽しくなって、ついやりすぎてしまうのだ。

 お姉さんに最初に会った時、アメリカに長く住むということはそういうことかと思った。というのも、日本人でありながら顔つきはアメリカ人になっていたからだ。カミさんの友人も結婚して以来アメリカに住んでいるが、やはりアメリカ人の顔つきになっている。人が暮らすということはそういうことなのだろう。お姉さんもカミさんの友人も、日本語の発音さえアメリカ人のようになっていた。日本語を忘れてしまうと嘆いていたけれど、そういう順応性こそが人の生きる力なのだろう。

 お姉さんが家に来た時に、もちろんサルビアはまだ発芽もしていないけれど、どんな花を並べてあげると喜んでもらえるのだろうかと今から思い巡らしている。それにしても、この花粉症が治らないとなあー。明日の午前中はおたすけの会議で、午後は短歌教室がある。そのためにも元気でいたい。
コメント
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