良かれと思ってやったことがとんでもない結果になった。来週の火曜日から、友だち家族で台湾旅行に出かける。そこで鉢植えの木々への水遣りを頼むため、一緒にあった方がやりやすいだろうと、南に置いたあったバラの2鉢もルーフバルコニーに移した。午後になって、風がまた少し強くなったけれど、今日はもう昨日ほどの風は吹かないだろうと勝手に思い込んでいた。
西日を避けるためのブラインドから覗くと、先ほどまで風に揺れていたバラの幹が倒れている。まさかと思ってバルコニーに出てみると、1.2メートルほどあった今年の幹が根元から折れている。とてもよい匂いの白いバラ(スノーダイヤモンド)で、楽しみに育ててきたものだ。折れた幹は根元の接木した部分よりも下、しかも白い花を咲かせている茎とはやや違う。どんな花が咲くのか、今年は見てみようと思っていた。
白い花を咲かせているバラの幹よりも太く頑丈そうだったから、風のために根元からポッキリ折れてしまうとは思わなかった。それにしても余りにも可哀想なことをしてしまった。ルーフバルコニーに移さなければきっと花を咲かせたのに。そこでバケツの中で水切りをして、大きめの花瓶に挿してみた。このまま、つぼみが育てば花を咲かせることができるだろう。祈る気持ちだった。
今朝の朝日新聞のbe版に勝間和代さんという経済評論家が「限界効用逓減の法則」について書いていた。最近、新聞やテレビによく出ている女性だ。朝日新聞はNHK同様に面白くなくなったが、こういうbe版や全面を使ってひとつの問題をいろんな人が論じる新聞作りは興味がある。勝間さんは、経済学のもっとも重要な法則である「限界効用逓減の法則」とは、「人間は新しい刺激に対して飽きっぽい」ということだと言う。勝間さんは例として、腹ペコの時に食べる最初のおにぎりは美味しいが、2個目3個目となると美味しく感じなくなることや、男女の間でも恋愛の最初の頃のワクワク感は徐々になくなり、夫婦になると、落ち着いてしまう。逆に一緒に暮らしていると、相手の嫌なところが目につき始め、限界効用を上回る嫌悪感を感じるようになると説明していた。
それはそうだろうけれど、「法則」などと言えるのだろうか。感覚の問題であり、個人差は大きいのではないだろうか。食べ物にしても同じものを食べていてもいつも美味しいと言う人はいる。男女間でもいつまでもベタベタしている人たちもいる。それは一種の「努力」なのかもしれない。私はどちらかいえば、次のことに興味が移るよりも一箇所に長く留まってしまう傾向にある。個々の特殊性を言い出したらきりがないので、人間全般の特性として「限界効用逓減の法則」を述べているのだが、個々の特殊性が強ければ「法則」とまでは言えないだろう。
良かれと思ってやったことがとんでもない結果になるのも何とかという「法則」だったような気がする。そんな風に「法則」を作って自己弁護しなければ「やってられない」ということなのだろう。人間は欲深いから。
西日を避けるためのブラインドから覗くと、先ほどまで風に揺れていたバラの幹が倒れている。まさかと思ってバルコニーに出てみると、1.2メートルほどあった今年の幹が根元から折れている。とてもよい匂いの白いバラ(スノーダイヤモンド)で、楽しみに育ててきたものだ。折れた幹は根元の接木した部分よりも下、しかも白い花を咲かせている茎とはやや違う。どんな花が咲くのか、今年は見てみようと思っていた。
白い花を咲かせているバラの幹よりも太く頑丈そうだったから、風のために根元からポッキリ折れてしまうとは思わなかった。それにしても余りにも可哀想なことをしてしまった。ルーフバルコニーに移さなければきっと花を咲かせたのに。そこでバケツの中で水切りをして、大きめの花瓶に挿してみた。このまま、つぼみが育てば花を咲かせることができるだろう。祈る気持ちだった。
今朝の朝日新聞のbe版に勝間和代さんという経済評論家が「限界効用逓減の法則」について書いていた。最近、新聞やテレビによく出ている女性だ。朝日新聞はNHK同様に面白くなくなったが、こういうbe版や全面を使ってひとつの問題をいろんな人が論じる新聞作りは興味がある。勝間さんは、経済学のもっとも重要な法則である「限界効用逓減の法則」とは、「人間は新しい刺激に対して飽きっぽい」ということだと言う。勝間さんは例として、腹ペコの時に食べる最初のおにぎりは美味しいが、2個目3個目となると美味しく感じなくなることや、男女の間でも恋愛の最初の頃のワクワク感は徐々になくなり、夫婦になると、落ち着いてしまう。逆に一緒に暮らしていると、相手の嫌なところが目につき始め、限界効用を上回る嫌悪感を感じるようになると説明していた。
それはそうだろうけれど、「法則」などと言えるのだろうか。感覚の問題であり、個人差は大きいのではないだろうか。食べ物にしても同じものを食べていてもいつも美味しいと言う人はいる。男女間でもいつまでもベタベタしている人たちもいる。それは一種の「努力」なのかもしれない。私はどちらかいえば、次のことに興味が移るよりも一箇所に長く留まってしまう傾向にある。個々の特殊性を言い出したらきりがないので、人間全般の特性として「限界効用逓減の法則」を述べているのだが、個々の特殊性が強ければ「法則」とまでは言えないだろう。
良かれと思ってやったことがとんでもない結果になるのも何とかという「法則」だったような気がする。そんな風に「法則」を作って自己弁護しなければ「やってられない」ということなのだろう。人間は欲深いから。