友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人はそれぞれ、振り回されることはない

2011年04月26日 18時55分50秒 | Weblog
 6月に、81歳の姉を香港旅行に連れて行くので、その書類を持って姉のところへ行って来た。今年の正月に会った時、「まだパスポートが有効なのだけれど、どこか暖かいところへ行きたい」と言っていたのを覚えていたカミさんが、新聞で見つけたプランである。初めはグアムへ行くつもりでいたようだけれど、ツアーはなく、若者たちがオプションで遊びに行くにはよいところと聞いて、香港に行き先が変わったのだ。私は香港へは一度も行ったことがないので、グアムよりはいい気がしたし、高齢の姉を連れて行くにはこちらの方が適しているのではと思った。妹夫婦にも声をかけたけれど、義弟は飛行機が嫌だと言い、妹だけを参加させると言う。

 「お昼を一緒に食べようか。どこがいい?」と聞くと、「スパゲティが食べたい」と言うので、イタリア料理の店に入った。7人ほどの女性たちがテーブルを囲んでいたが、他にお客はいなかった。姉はペペロンチーノを、私はカルボナーラを注文した。7人の女性客はこどもが小学校の同学年のお母さんのようで、子どもの話や学校のことや食べ物の話など、かなり盛り上がっていた。姉は「うるさいわね。もう少し小さい声で話せないのかね」と小声で言う。こんな風に、女同士が集まって、ワイワイガヤガヤ話し大笑いした経験が姉にはなかったのだろう。「他に客はいないし、あれくらいの若いお母さんたちが集まればあんなものだよ」と言うと、「恥ずかしくないのかね」とまだ納得しない。

 昭和5年生まれの姉は、NHKの朝の連続小説『おひさま』の世代だ。テレビは見ていると言い、「あんなに自由ではなかった」と付け加える。『お江』もそうだけれど、確かに時代考証はしているのだろうが、言葉遣いや表現で、こんなことはあり得ないと思う点はいくつもある。けれどもきっと、私たちが知っている時代通りに行なったならば、湿っぽく暗いドラマになってしまうだろう。時代を忠実に再現するのではなく、この2つのドラマはいずれも特別な時代に生きた女の生涯を描こうというものらしい。視聴者が主人公に共感できるような仕立てにしているのだろう。細かなところに目が行っては主人公の生き方を見落としてしまうかも知れない。そう思いながらもなお時々違和感を覚える。つまらない年齢になってしまったものだ。

 姉は「芸能人には漢字を知らない人が多いね」と言い、娘に「そういうことを人前で言ったらいかん」と注意されたそうだ。「漢字は知らなくてもパソコンは打てる。姉さんは録画がうまく出来なくてが高校生の孫は出来る。芸能人の中には韓国語の翻訳が出来る人もいれば、英語がペラペラの人もいる。時代が変わって、関心も変わった。クイズは見世物だけど、それは一面でしかないから、それで評価はできないよ」と話す。それでも姉は「どうして芸能人に東大出はいないのかね」とまだ食い下がる。東大出は凄いと思っていた時代だから仕方がないが、高校の先輩で東大へ行った人は魅力的な人ではなかったし、高校教師の同僚にいた東大出もそんなに知識が豊富ではなかった。

 人はそれぞれである。人に振り回されることはない。姉も昔は「ハイカラ」な生き方をしていたはずなのに、人のことが気になるのだろうかと老いた様子を見てそう思った。
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