市ボランティア連絡協議会の講演会に行って来た。講師は止揚学園の福井達雨園長さん。演題は「やさしい心をもっていますか」であった。ボランティア団体の皆さんが大勢参加されていた。市の民生委員をはじめ、昨年はボランティア協議会から2班に分かれて、止揚学園へ見学に出掛けているそうだ。私はたまたま知り合いに「いい話だからぜひ聞いて」と言われ、演題に興味が湧いて聞きに行ったのだが、楽しかったばかりかいろいろ考えることも多かった。
福井さんは私よりちょうど一回り上の79歳。父親は朝鮮人で帰化して日本人の母親と結婚した。けれども子どもの頃は「朝鮮人の子」と馬鹿にされ、「遊んだらダメ」と言われていて友だちが一人もいなかったそうだ。「人には2つの要素がある。存在することと、所属すること。この2つがあって初めて実存する」と言う。生まれているだけで所属できなければ人として認められない。「入れて」と言っても同じものしか入れてはくれない。大人になって障害のある人に出会った。この人たちは同じ日本人なのに「所属」していない。この時、差別が普通の人たちの中にあることを知ったと言う。
障害のある人はとても感性が豊かだ。ある女性が「私は毎日、花に水をあげている。花はいのちやで」と言った。何のことだろうと思ったが、花が美しいのはいのちがあるから、クリスチャンの福井さんは神様のおかげと思った。その話を大学の講演会で話したが、「ウソは言わないで欲しい」と抗議を受けた。福井さんは話す。神を信じるか否かは人それぞれ、学生たちは感情はあるが感性がない。障害のある人は障害ゆえに純真な目で見ている、感じている。だから「花はいのちやで」という言葉が出てくる。感性はとても大事だと言う。
福井さんは母親が死に際に会って話した2つのことを大切に思っている。1つは「見えないものを大事にすること」、もう1つは「えらい人よりも立派な人になること」。高校生だった福井さんはその時はよく分からなかったそうだ。大きくなるにつれて母親が残した言葉が良く分かると言う。見えないもの、思いやりとか優しさとか、そういう目に見えないものこそ大事なものなのだ。人はとかくえらい人が立派な人に見えるが、本当に立派な人は見えないところでも努めている人のことだと。
優しい心を出すと時々しんどくなる。でも、どんなに愛していても、どんなに優しい心を持っていても、行動が伴わなければダメだ。思っているだけでは何も実現されない。今、世の中はとても難しくなっている。強い人はどんどん強くなっているが、弱い人は自分では強くなれない。けれど、弱いことは素敵だと言う。弱い人は何かを奪ったり、いじめたり、することはない。愛こそ、優しい心こそがいきいきと生きる源泉であると話す。
「笑顔のないボランティアはありません」と福井さん。滋賀県東近江市にある止揚学園は年間3千人の見学者があるという。一度行ってみたいなと思った。