ゴールデンウィークはいかがでしたか。家族で行楽地へ出かけることが私たちの年代では定番でしたが、その子どもたちは近くて、安くて、手ごろな場所に出かけるようです。私たちも最近では毎日が日曜日のような生活なので、わざわざ混み合う休日を避けて、平日に出かけることが多くなった。しかし、現役世代と一緒に行動するとなると、やはり連休が大切な期間となる。次女夫婦が次女のダンナの両親と私たちを結びつけるために、貴重な4日間を計画してくれたので、素直に受け入れたけれど、次女夫婦には大変な旅行となった。
何しろ次女夫婦は茨城県に住んでいるので、名古屋に来るには丸一日かかる。2日の夜に茨城を出て、新東名で来た。長時間の車の運転は疲れるから新幹線で名古屋まで来て、我が家の車で姫路の実家まで帰ればいいのではと提案したけれど、慣れない車で長距離は嫌だというので、ふたりで交代しながらやって来た。けれども首都高速は相変わらず込み合っていて、しかも新東名も大渋滞で3日の午後の到着になった。さて、翌日は朝7時に我が家を出て、名神を通って中国道へ入るが、西宮を抜けるまでダラダラと渋滞が続き、ダンナの実家に着いたのはお昼だった。
さて、今度は目的地である城之崎温泉へ車2台で向かう。大渋滞はなかったけれど、城之崎に近づくとやはり車は多い。それでも夕方4時ごろには宿に到着。次女がしたかったという浴衣で温泉街を散策することも出来た。私は城之崎温泉が、7つの外湯を巡る温泉地だとは知らなかった。温泉街の中央に川があり、両岸に柳の並木続く。おそらく観光用と思われる石橋がいくつもあって、川には鯉が悠々と泳いでいる。そんな街をそれぞれの宿の浴衣を着た人々が行き交う。
下駄の音もなんとなく心地よい。圧倒的に若い男女が多いけれど、私たちのようなジジババも結構いるし、家族連れも多かった。外湯にはそれぞれ名前が付いて、その建物も凝っている。「御所の湯」など概観はまるで大きなお寺のようだった。洞窟風呂が自慢のところもあれば、中国の名勝である西湖から移植した柳の木下から噴出したという温泉もある。私は外湯は1ヶ所しか行かなかったけれど、朝一番に入った人には「一番風呂札」という木札がもらえる。ダンナの父親は温泉好きだそうで、翌朝の午前6時半から並んでこの「一番風呂札」を手に入れてきた。
大いに飲んで食べて、そして文字通り裸の付き合いができた。子どもたちのこんな粋な計らいに感謝である。茨城と姫路ではちょっと遠いけれど、名古屋は中間に位置しているし、ダンナの両親も子どもたちもカミさんもゴルフが出来るのだから、温泉だけでなくゴルフも出来ればさらにゆったりと楽しめるだろう。そんな機会も生まれることだろう。若い時に知り合うこともいいけれど、こうして老いてきて知り合うことは深みと味合いが違うようだ。
翌朝、もう一度温泉街を散策してお土産を買い、お昼は久美浜のレソトランで取った。ここでダンナの両親と別れ、私たちは敦賀に出て、関が原を経て帰ってきた。5日の午後8時前だ。サービスエリアで買い求めてきた食料品を並べて、ビールとワインで食事を取る。6日の朝7時に、次女夫婦は茨城へと帰って行ったが。午後2時過ぎには家に戻ったと連絡があった。長い間、本当にご苦労様でした。そして何よりもありがとう。