神社で井戸掘りをしていた時、軍服姿に似せた男の人が参拝に来ていた。私たちの仲間のひとりを捕まえて話しているのが聞こえた。「5・15には行くのかと警察が聞くので、私が何をしようといらんことだと言ってやった」と言う。そうか、この人は右翼で、警察にマークされているのかと思った。警察は左翼と右翼を警戒の対象としているから必ず見張っているが、この人のように声をかけたというのであれば大物ではないのだろう。今日は雨降りになってしまったが、あの男は出かけたのだろうか。
5・15とは、1932年に起きた海軍将校によるクーデターのことだ。昭和維新の第2弾として決行されたもので、犬養毅首相が「話せばわかる」と言うのに、将校は銃弾を放った。私が聞いた話では、首相官邸を襲った将校はいきなり銃口を犬養首相に向けたが、安全装置がはずしてなかったので弾は出なかった。犬養首相は動じることなく、将校らを応接間に招き、日本の現状を語ったという。後からやって来たグループが犬養首相に発砲し、慌てて「問答無用」と発砲したというものだった。
犬養首相の方がはるかに肝が据わっている。この日の計画では、農民決死隊が発電所を襲撃して東京を暗黒に落とし込むはずであったが、決死隊は停電させるには至らなかった。この年から4年後、今度は陸軍の青年将校が「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げてクーデターを決行し、軍閥による政治を目指した。それから9年後の1945年8月15日、日本は終戦を迎える。居酒屋で40代の男が酒を飲みながら話していた。「俺たちの爺さんの世代は、親戚や家族を守るために戦った。俺は嫌だね。親戚や家族のために命を捧げることは出来ないね」「お前なあ、それって非国民なんだぞ」。居酒屋でそんな会話が出来ることは幸せだ。
終戦から27年も経た1972年5月15日、アメリカは沖縄の施政権を日本に返還した。しかし今も広大な土地がアメリカ軍基地としてある。私は議員だった時に、議会の視察で沖縄に行ったことがあるが、ここで多くの人が死んだことを思うと気持ちが重かった。姫ゆりの塔の前で、共産党の議員がふざけて、「この献花はきっと使いまわしている」と言った時は腹が煮えた。沖縄の人々にとって本土復帰は何だったのだろう。本土の私たちは、沖縄の人々の苦しみを知らないし理解できないのだろう。
昨年末に八重山諸島へ誕生日会の友だちで出かけた。沖縄も八重山諸島も日本とは違う文化が息づいている。日本でもない、中国でもない、どちらか言えば台湾と同じような文化だ。沖縄が日本から独立した国であったなら、こんなにひどい目に遭うこともなかったかも知れないと思う。沖縄は独立した島国となり、中央アメリカのコスタリカのように憲法で軍隊を廃止して、したがって当然にも外国の軍隊の駐留を許さない恒久平和の国を目指すのはどうだろう。それを応援するのは私たちの努めだろう。