友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小学校の思い出

2012年05月18日 19時39分16秒 | Weblog

 神社での井戸掘りは、20メートルまでいった。18メートル辺りから再び茶色い砂になった。鉄分を多く含んでいるので、散水すれば敷石が赤くなってしまう。これで完成と思っていたのに、また受難がやって来た。このままでは何ともならないので、もう5メートル掘り下げることにした。それでいい水が出るのかと言われれば、確信はない。やらないよりはやった方がいいと思うだけだ。けれども掘り下げる鉄管は20メートル分しかなく、鉄工所で作ってもらうためには一日要るというので、今日は井戸掘りを休んだ。

 明日は半田で井戸掘りの続きを行う。こちらは粘土層で苦戦している。塩ビ管で掘れないなら鉄管でやってみようと言うけれど、果たしてうまくいくだろうか。スコップでもう少し掘る以外には手がないような気もする。連日の作業でみんな疲れている。怪我をしないように、手順を整えて頑張らなくてはならない。日曜日は小学校のクラス会だ。卒業記念作文集の復刻版を出席者全員にプレゼントすると案内文にあったけれど、どんなことが書かれているのか楽しみだ。それに6年の時の担任が製作した懐かしい小学校のジオラマを大型スクリーンで見せてくれるとあった。味なことをやってくれる幹事に感謝である。

 私が卒業した小学校は明治時代に出来た。在学中に創立80周年(?)の行事があったように思う。正門から入ると左手にソテツの築山があり、二宮尊徳の石像があった。その奥の方は立派な庭園になっていて、子どもたちの立ち入りは禁止だったのか、遊んだ記憶がない。この庭園には小さいけれど頑丈なコンクリートの奉安殿が残っていた。確か、ここに天皇の写真が祭ってあったと聞いたように思うが、私の目には単なるコンクリートの小さな祠に過ぎなかった。校舎は木造モルタル塗りで堂々と風格があったが、これは職員室や校長室のある建物で、この他に6棟あったと思う。運動場も2箇所に分かれていた。子どもの頃は広いと思っていたけれど、大人になって行って見ると、こんなにも狭かったのかとビックリした。

 児童が増えるばかりだったので、校舎の増築が続いたのかも知れない。何時からトヨタの城下町になったのか知らないが、トヨタで働く人の子どもが増えた。社宅も出来て、遊びに行ったこともある。私の記憶では、トヨタの子は優秀で何でもよく知っていた。成績の上位はほとんどトヨタの子で占められていたのではないかと思う。高校の時に映画『ウエストサイド物語』を見て、昔からいる地元の子どもとトヨタの子どもとの抗争と、そのなかで生まれるラブロマンスを書いた。しかし、映画の物まねで恥ずかしくなって発表しなかったが、あの時のノートはどこにあるのだろう。

 小学2年生の時に、住まいが変わったために越境通学となった。通学も帰宅もひとりだったから、帰りは自由気ままに町中を歩いて帰った。夕方に三味線を弾く家があった。まだその頃は芸者さんがいて、その家の傍を通るととてもいい匂いがした。どうかすると、色の白い女性に出会うこともあったが、その人の子どもなのか、学年が3つ下のやはり色白の女の子に出会うこともあった。その道を通らない時は、大回りして3軒の書店を見て回った。どこを歩いても、何を見ても、興味津々だった。

コメント
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