友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

窮屈で理不尽な社会

2012年05月26日 21時32分35秒 | Weblog

 開かずの間という踏切がある。特急が行って、普通が行って、準急が行く。これが上下で何本かあれば10分ほど遮断機は下りたままになる。「電車の来る前から遮断機が早く降りすぎる」と怒り出す人もいるけれど、のんびり屋の私は「安全のためには仕方ない」と思う。けれども不思議だなと思うのは、遮断機が上がっている時に、自動車は必ず一時停車して左右を確認して踏み切りを通ることだ。法令がそう定めているからそれに従っているのだが、じゃあ遮断機はなぜ設置されているのだろう。踏み切りで自動車が必ず一時停止するために、通過できる自動車は少なくて運転者をイライラさせている。

 遮断機のある踏切では一時停車をする必要はないと法を改正すれば、もう少しスムーズに自動車は通行できるのにと思う。美術館には撮影禁止という注意書きがある。フラッシュで作品を傷めないためであると共に、著作権の保護という意味もあるのだろう。そうであるなら、フラッシュを使わずに展示会場全体を撮影する場合は問題ない気がする。けれど、会場で撮影したりすればすぐに係員から注意される。展覧会の会場でカメラを手に持っていれば、写さなくても係員が「撮影は禁止です」と言ってくる。

 私たちが井戸掘りを始めたのは、阪神淡路大震災の時に救援に駆けつけた人の話がきっかけだった。「飲料水はすぐに自衛隊が運んで来たけれど、生活用水が無くて困った」と聞いたので、それなら井戸を掘ればいいという話になった。地震で水道が止まればかなりの範囲で断水となるが、各地に井戸を掘っておけばどこかで水を汲み上げることが出来るはずだ。上水道や下水道のように、広範囲な地域で運営する、大きいことがよいことという考えは変えた方がいい。けれど井戸を掘って、水が出ると、「飲めますか?」とよく聞かれる。飲料水になるか否かは保健所で検査を受けなければならないが、保健所の見解は概ね「煮沸すれば飲めます」である。

 山に登ったことのある人なら、小川の水を飲んだことがあるだろう。私たちの子どもの頃は井戸水を煮沸もせずに飲んでいた。中には問題の井戸水もあって、上水道が生まれ、そして張り巡らされた。だから上水道は安心して飲める。各地に掘られた井戸水を保健所が「飲める」と許可したなら、上水道の運営は出来なくなる可能性もある。山の小川の水を飲んだことのある人からすれば、井戸水が危険とは思わないかも知れない。しかし、政治は何よりも生命の安全を大事にするので、上水道の水を飲むようにと勧める。極端な言い方をすれば、上水道の水以外は飲まないということになる。

 踏み切りの遮断機にしても、事故が起きないためには多少の不便は止む得ないし、美術館での写真撮影も禁止しておくに越したことはない。井戸水も飲んで問題を起こされるよりは、上水道の水しか飲料には適さないとしておいた方がいい。世の中はだいたいこんな風に出来ているが、それもこれも私たちが作り上げてきたものだ。何とも窮屈な社会であり、理不尽な社会である。原発にしても、増税にしても、無い方がいいと思っているのに、いつの間にか仕方がないと思うようになる不思議な社会である。

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