友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

勉強も子育ても運不運はない、「あとで」もない

2015年03月23日 17時59分13秒 | Weblog

 今日の選抜高校野球大会の第3試合は、息詰まる熱戦で観ている私の胃が痛くなるほどだった。昨年の優勝校と一昨年の優勝校との激突と前評判の高い試合だったが、全くその通りの展開で、両チームとも得点圏に走者を送りながらなかなか点が入らなかった。そんなドキドキする重い試合だったけれど、ヒットの数で上回っていた浦和学園が延長11回、龍谷平安を抑えて勝った。投手は両チームとも継投することなく最後まで投げ切ったが、見事なピッチングだった。

 試合だからいずれは勝敗がつくけれど、延長戦まで来ると、勝敗をつけることが可哀相な気がしてくる。春の大会だから、夏にもう頑張れと負けたチームに声をかけたくなる。スポーツも運不運があると思うけれど、どちらか言えば、やはり練習と練習から得られる自信、自信が与えてくれる気迫が運不運を分けるように思う。

 20歳の孫娘は母親と同じ看護の道を目指して大学で勉強している。先日、病院での実習が終わりカミさんのところへメールを送ってきた。「患者さんからありがとうって言われ、嬉しかったけど何もできていない申し訳なさで、泣けてきた。だけど、泣いたら伝えたいことが伝えられないって思って、頑張って泣かずに伝えた。(略)もっと基礎から学び患者さんのための看護が出来たらと思います。明日から遊びまくります(笑)」。

 えっ、なにそれ!そこで私は「バカモン!と思ったけど、まあー単位が取れるならそれもいいかと、甘いことを思ってしまった。残念無念!!」と送ったが、カミさんは「よく頑張ったね。遊びも必要、(もっともっとたくさんのことを学んで成長していきます)を忘れないでね」とエールを送っていた。子どもたちに、ひたすら頑張れと言うのは無理があるだろう。彼らだって努力をしている、それを評価しなければ頑張る気になれないだろう。

 次女はもうすぐ11ヶ月になる赤子の世話に追われる毎日を送っている。どんなに一生懸命で赤子の世話をしても、赤子自身は分からない。毎日のように送られてくる赤子の写真は私たちには楽しみで、送られてこない日があるとむしろ心配になる。赤子の世話に一生懸命になると、ダンナはかまってもらえないから夫婦仲が悪くなるケースがある。我が子に嫉妬するダンナだっている。男は甘えん坊だ。頑張りすぎると疲れてしまい、赤子にもダンナにも優しく出来なくなる。

 勉強も子育ても運不運はない。「あとで」もない。上手にやっていくしかない。

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