心の居場所がない。自尊感情がない。人生の目標がない。必要とされていない。この4つの「ない」状態に置かれると、少年・少女は非行に走りやすいと元裁判官の井垣康弘さんは言う。井垣さんは1997年に神戸市須磨区で連続児童殺傷事件を起こした少年の審判を家庭裁判所で担当した。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、新聞社へ声明文を送りつけてきた事件だ。声明文を読んだ時、こんな難しい文章を書くのは大人と私は思った。それが14歳の少年だったからビックリした。
どんな家庭で、どのように育てられたのか、世間の関心を集めたが詳しくは報道されなかったように思う。猟奇的な殺人事件を犯した少年の家族というだけで世間から白い目で見られ、とてもそのまま住み続けることは出来ないだろう。少年院に送られた少年は既に出所したというが、どこでどう暮らしているのか、マスコミの人々の関心も高い。井垣さんは「少年はやっと生きることに前向きになった」と言う。
「少年は逮捕されて直ぐに死刑になると思っていた。青い電気椅子に座るか、赤い電気椅子にするか、自分はどちらが似合うかと考えていた」と言う。少年院に送られても、「死なせてくれ」と言い続けていた。ところが数年経つと、「無人島のようなところでひとり暮らしがしたい」と言うようになった。生きる欲が出てきた。どうしてそうなったのかという点について、井垣さんは次のように説明する。
「少年院には女子も収容されていて、夏になれば水着姿でプールに向かう。男子はそれを見て囃し立てる。それまで、何の関心も示さなかった少年が一緒に手をたたいて囃し立てるようになった。脳内の性中枢が通常の発達に追い付き、生きる意欲が出てきた」。「少年・少女の猟奇的な犯罪は脳の未発達に由来する性的サディズムにある。アダルトビデオを友だちと見ても興奮しなかった少年が、児童の首を切断した時は興奮し射精した」。
脳の障害のように見えるけれど、むしろ無菌化に向かう人間社会の障害のように私は思う。性的なことに関心が無いことを善としている。人とちょっと違う人はいくらでもいる。それを科学で分析し分類化する社会に原因があると思う。動物を虐待したり、粗暴な振る舞いをしたり、そういう子どもは井垣さんが挙げた4つの「ない」の信号だと思って、声をかけ、抱きしめてあげて欲しい。寂しさは自暴自棄へと追い立てるから。