友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

親は誰もが子の幸せを思う

2015年04月15日 18時14分28秒 | Weblog

 「もしあの子があなたをぶったら、ぶち返しなさい。わたしが許す。自分のことは自分で守るの。この家には臆病者を置いておく場所はないのだから」と、母親に言われた4歳の女の子は肩を怒らせて出て行った。そして「もう男の子とも遊べるよ」と勝ち誇った顔で帰ってきた。この少女こそ、アメリカの初の女性大統領を目指すヒラリー・クリントンである。そんな記事を新聞で読んだ。

 「母は、少年が幼稚園に行って恥をかくことのないよう、団体生活で必要な生活習慣や能力をきっちり身に付けさせようと、排尿、排便、食事、着替え、玩具の後片付け等を早め早めに厳しくしつけた。両親の養育方針は、人に迷惑を掛けず人から後ろ指を指されないこと、人に優しく、特に小さな子には譲り、苛めないこと、しかし、自分の意見をはっきり言い、苛められたらやり返すこと、親の言うことをよく聞き、親に逆らわず従順であること等であり、長男をしつければ弟達は自然と見習うというものであった」。

 この文章は、神戸で起きた連続児童殺傷事件で家庭裁判所が下した少年審判決定の<非行にいたる経緯>にある。ヒラリーの母親は娘が外で遊びたがらないことから、苛められていると直感し、「やり返しなさい」と命じた。実際にヒラリーがやり返したかは分からないが、彼女を勇気付けたことは確かだろう。少年の母親も同じことを言っている。幼い子どもを持つ母親なら、日本の親なら、誰でもが持つ平均的な考えだ。そうすることが子どもにとって幸せになると信じているから。

 私の母も同じようなことを言っていた。けれど、私が知る母は、見ず知らずの人にお金をあげたり、困っている人がいると助けてしまう義侠心の持ち主だった。私は母のような強さを持たないおとなしい子で、通知表にはいつも「積極性が欲しい」と記されていた。自分でも小学校の高学年になるまでは臆病者だったと思う。神戸の少年は母親に厳しく育てられ、少年が「今やろうと思ったところ」と言い返すと、「やることをやってから言いなさい」と押さえ込まれ、抵抗できなかった。

 やがて少年は自分の空想の世界に入り込んでいった。小学校6年の時、先生の前で、「何をするか分からん。このままでは人を殺してしまいそうや」と泣きじゃくったことがあるという。少年は先生に助けを求めたのだろう。そして実際に、連続殺人へと向かってしまった。親なら皆、子どもの幸せを考えるのに、厳しさが逆になり、放任が別世界を作らせた。私の子育ての基本は子どもを信じ、うるさく言わない。私の子だから、いつか分かる。決めるのは君たちと言ってきた。

 明日と明後日は旅行のためブログを休みます。

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