父も兄も、私が卒業した高校の同窓生だ。母校は1919年(大正8年)、県立第八中学校として開校している。父は明治生まれだから八中の卒業だが、昭和6年生まれの兄はおそらく新制高校の1期生くらいだろうか。母校の卒業生は地域にたくさんいて、誇りにしているし、結束も固く、地域の政治・経済を牛耳っている。私は、高校時代が自己形成の時であったし、新聞部の友とは今も交流があるのに、同窓会には一度も出席したことがない。
私の高校の先輩で、私が最初に名前を覚えたのは現代美術の先駆者と言われる河原温氏である。それも私が大学で美術を専攻したことから、興味を持った作家の経歴を見たら同じ高校だったに過ぎない。河原氏は昭和8年生まれだから兄が3年の時の1年ということだが、高校を卒業してからのことはよく分からない。タイル貼りの浴室で蠢くような人間を描いた絵が有名だが、活動の場はニューヨークになっていた。「卒業生で一番の有名人」と私は思っていたが、文芸部の機関誌のことで友だちと母校を訪ねた時、一番は「外山滋比古」氏と分かった。
同窓会の資料室に外山滋比古文庫があり、外山さんが書かれた著作が並んでいた。私は知らなかったけれど、友だちが「英語教育の大家だ」と教えてくれた。外山さんは大正12年生まれで、東京教育大、お茶の水女子大で教鞭をとり、お茶の水の名誉教授である。そんな有名な人なのに1冊も読んでいないのは恥ずかしいと思って、『国語は好きですか』を読んでみた。装丁のイラストが父親に似ていたし、表題から簡単に読めそうと連想してしまった。
本の中身は「国語」で、学者が易しく解説してくれるものなので、教えられることが多い。多いけれど、年代のギャップを感じてしまった。『文芸春秋』5月号にも国語学者の金田一秀穂さんとの対談があった。その中で「音」を取り上げていた。正岡子規が行なった「俳句の大改革は、耳から目への変革」で、それが「写生」と解説し、「四国から上京した彼は声に自信がなかったのでは」と言う。それと日本語と英語を覚えたバイリンガルは、互いが衝突して言語の半分くらいを失うので、幼児の時は母親がしっかり話しかけることが大切だと持論を述べていた。
同窓の先輩たちに負けない人生を目指したけれど、どうやら足元にも及ばない。父も兄も笑っていることだろう。