夏休み中の8月下旬に小1の孫娘が我が家に来た時、「夏休みの宿題はどう?」と聞くと、「もう終わったよ」と澄ました顔で答えてくれた。私は夏休みの宿題ができなくていつも8月下旬になって大慌てでやっていたのでびっくりし敬服もした。私とは違って頑張り屋さんの血はお父さん譲りなのだろう。すると母親である長女が「毎日追い立てた」と口を挟む。そうだとしても、やってしまう根性はたいしたものだ。
2学期が始まり、孫娘はどうしているのだろう。小学校の運動場では2日からもう運動会の練習が始まっていた。行進の練習、走りっこの練習などが暑さの中で繰り返し行われている。100メートル走で1着だった子がしゃがみ込んでいたので、大丈夫かと思って見ているとやがて起き出し、友だちの走りに声援を送っていた。我が家のふたりの娘は運動会が華だった。姉妹で地区対抗のリレーにも出た。
わが家の娘たちは2学期が楽しみだったが、最近は9月1日に自殺する子どもが多い。災害でお年寄りが亡くなったと聞くとお気の毒にと思うが、10代や20代の子どもの死を聞くとまだまだこれからなのにと悲しくなる。生きていれば、もちろんいいことばかりではないが、必ず「よかった」と思う時もある。いろんなことを体験もできずに死んでしまうなんてあまりにも寂しい。
先日、「先生、お元気ですか?今は何をされているのですか?」と84歳の女性から電話があった。私が議員だった時に難問を押し付けてきた女性だ。確かに恵まれなかったが、非は女性の方にもあった。しかし人は死ぬまで生きていかなくてはならない。非があるからと放ってしまう訳にもいかない。「先生のような方が市長さんになってくださるといいのに」と褒めてくれるが、もう私は何もしてあげられない。
生きていれば、何とかなる。「お笑い芸人になる」と言った孫娘もいつか、本当に芸人になるのかも知れないし、大学生の姉のように、母親と同じ看護師の道に進むのかも知れない。オリンピックで活躍したバトミントンや卓球の選手になるかも知れないし、活躍を感激して応援する人になるかも知れない。若さは可能性の塊だ。そう信じて育てて欲しい。