友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

山門は祖父が建てたものだった

2016年09月04日 17時56分28秒 | Weblog

 祖父が戦死した息子のために立てたお墓がある。隣に銀杏の樹を植えたために、成長して根が墓石を傾かせてしまった。お寺の方が銀杏の樹を切り倒したので、根のため墓石が傾くのは止まったが決して安全とは言えない。地震でも起きれば確実に倒れるだろうが、そうでなくても何かの拍子に倒れ、隣の墓を傷つけることもあり得る。

 墓参りに行く度にどうしたものかと思った。私は三男でしかも我が家の娘ふたりは長男と結婚している。我が家が墓の面倒をみることは出来ない。長男である兄貴はすでに亡くなっているが、この墓には納骨されていないから、兄貴の息子たちには身近な墓ではない。祖父の子で健在な人はふたりいるがどちらも高齢だ。その叔母が私に「残った者が困らないようにしている」と言った。

 先延ばしにしてきたが、誰かが決断しなくてはならない。甥っ子たちは「お任せします」と言う。反対されると覚悟して、叔母に「墓石は撤去しようと思う」と話すと「分かった」と聞いてくれた。石屋さんの手配は中学の同級生に頼み、お寺に墓石の撤去を申し出ようと思い、そこでハタッと気が付いた。

 私が墓を建てた祖父の孫という証明が必要だろう。どこの誰だか分からない人が墓を撤去してトラブルになっては困るはずだから、証明するものを要求されるだろう。まず市役所に行き私の戸籍を取り、続いて刈谷市役所に出かけて父の戸籍を取るつもりだった。ところがもう50年以上経っているので番地が思い出せない。「お父さんの生年月日は?」と職員の女性が聞く。「明治42年で母より2歳年下です。番地は34番地か35番地だったような気がします」と答えると、「思い出せるものですね」と言って父の戸籍を渡してくれた。

 約束の時間にお寺を訪ね、事情を話すとすぐに撤去のための法要の日が決まった。戸籍を見せることもないままに。「墓を建てたのは祖父で、私は孫です。祖父は与曾三郎と言います」と私が話すと、住職は「ああ、あの山門を建てた」と言われた。この寺の山門を通る度に母が「これはおじいさんが建てたのだよ」と言っていたが、やっぱり本当だったと何か誇らしい気持ちになった。甥っ子が彫刻家になったのもやはり血筋だなとも思った。

 何はともあれ、これで私はひとつの役割を果たすことになる。

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