「沖縄本土復帰記念日」を知っている人がどれほどいるのだろう。私がまだ大学生の頃は、沖縄へ行くにはパスポートが必要だった。民青の学生たちは「沖縄を返せ」と歌っていたが、「アメリカは出ていけ」のシュプレヒコールと同様に、私には違和感があった。「沖縄を返せ」は本土の人の言い分で、沖縄の人は本当に「本土復帰」を願っているのかと疑問に思った。
「アメリカは出ていけ」も、「アメリカ軍は出ていけ」の意味であることは分かるが、出て行けば解決するのかと疑問だった。当時の沖縄は、今も変わらないが、東アジア戦略の最前線基地で、敵対するものに容赦しないアメリカの世界支配を無くすには、アメリカ国民が「戦争反対」の声を上げるしかない。「出ていけ」ではアメリカ国民の反戦運動を支援するスローガンにならない気がしていた。
1972年5月15日に沖縄は本土復帰した。今朝のNHKテレビ『あさイチ』で、国会議事堂に向かってオートバイで突入した若者がいた話を聞いた。そんな事件があったことは知らなかった。当時は本土復帰を祝う行事をテレビが大きく報道していたが、70年経ても、沖縄の人々は「復帰前と少しも変わらない」と言う。「本土復帰」ではなく、「沖縄独立」の運動は無かったのだろうか。
本土の犠牲になりながら、今も犠牲を強いられている沖縄。独立し、日米安保条約から外れても、アメリカとまだ交渉しなければならないが、今よりは有利な展開が期待できないだろうか。私は沖縄戦の記録映画や映画『ひめゆりの塔』を観て、沖縄に観光で行く気になれなかった。しかし議員の時、初めて沖縄の地に立った。「ひめゆりの塔」を視察した時、信じられないことが起きた。
慰霊碑の前にたくさんの花が捧げられていた。すると共産党の議員が「これ、持って帰ってまた売るんだぞ」と冗談を言った。彼は冗談でみんなを笑わせたかったのだろうが、私は頭にきて、「そんなことを言うもんじゃない」と怒鳴った。保守系の議員ではなく、共産党の議員だったがより悲しかった。沖縄で流された血を受け止めることの出来ない者が、「福祉」「平和」「平等」と、口にしても虚しいだけだ。以来、沖縄へ行ったことがない。