友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

姫野カオルコの『ツ、イ、ラ、ク』

2019年02月02日 17時33分24秒 | Weblog

 仙台の次女が、昨日のダンナの誕生日に、イタリアンレストランでお祝いをした写真をラインで送ってくれた。4歳の孫娘は見る度に大きくなっている。今度会う時は、もっとお茶目さんになっているだろう。長女のところの小3の孫娘は、自分の妹のように思っていて、会えば、「これはこうするの」とか、「私がやってあげるから」と世話をやく。本当の姉妹のようで微笑ましい。

 明日は立春。「ふたりで食べるのだから、豪華な恵方巻がいいな」と注文しておいた。我が家で恵方巻を食べるようになったのは何時ごろからだろうか。まだ、子どもたちが小さい時は豆まきしかしなかった。「節分って何?」と子どもに聞かれたら、「季節の変わり目のことで、だから年に4回あるんだよ」と長々と説明して、「分かった。もういい」と嫌われていただろう。

 雑学ばかり。どうもそれを教えたがる父親だった。私のブログの読者は平均年齢が高いから、姫野カオルコさんの『ツ、イ、ラ、ク』は読んでいないかも知れないが、読後感としては面白かった。姫野さんは1958年生まれとあるから、私より14歳下なので、当然、社会の動きは違うけれど、こんなに早熟になっていたのかと思う。

 京都から離れた何もない田舎の小学校の2年から始まり、この子たちの34歳までが記録のように綴られている。主人公の準子は友だちと群れない不思議な存在の女の子だ。たくさんの登場人物を見ていると、この子にそっくりな子がいた、そんな気がする。じゃー、自分はどの子に当てはまるのだろう。そんな楽しみと怖さがある。

 準子は23歳の国語教師とただならぬ関係になっていくが、どうして性行為になってしまうのか、成長の悪い私には分からない。23歳の教師と14歳の中学2年生が、「彼らは犯った。ヤって犯ってヤって犯ってヤって犯ってヤって犯って」と何行も続き、男は4キロ、女も3キロ減量するほど続けた。まあ、小説だから仕方ないが、性行為の喜びを本当に知るにはまだまだ若すぎると経験者は思う。

 「恋愛小説」と謳われるのは、まだまだ先を読まなくては分からない。明日は立春とともに、愛知県知事選挙の投票日だ。勝負が分かっているだけに投票率は低いだろう。そんなのはユルサン。ただそれだけの義憤で私は投票に出かける。

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