仙台の次女が、家族3人で滝を見に行った写真をラインで送ってきた。見に行っただけでなく水にも入ったようで、5歳の娘は冷たいのか顔をしかめている。手足が長くなって、小5の孫娘に近づいてきた。その写真を見た小5の孫娘からは艶めかしい足の写真が送られてきた。
小5の孫娘は「有痛性外脛骨障害」が再発したという。土踏まずを持ち上げるアーチ型の物を「入れておくといいよ」と伝えたが、看護師である長女には「要らぬおせっかい」だったかも知れない。長女は思いもよらぬ行動をする子だったから私が守る役だったのに、大人になったら批判される側となってしまった。
何時しか親は子に乗り越えられていくし、そうで無くてはならないだろう。女の子の気持ちまでは分からないが、少なくとも私は父親を超える存在になりたいと思った。果たしてそうなれたのかは定かではないが、確かなことは、60歳で亡くなった父親よりも16年も長生きしている。
75歳で人生を終えたかったが、これはもう仕方ない。神のご意思に従う他ない。世の中には生きたくても生きられない人や、希望に燃えていたのに突然死に追いやれれる人もいる。コロナ禍で苦しんでいる人や、必要以上に恐れている人もいる。
こんな世の中だからもっと社会に目を向けなければならないが、社会から遠く離れて巣ごもり生活である。新聞を見ても、テレビを見ても、発言している人たちは私よりも若い。昔、「年寄りがエラそうに」と思っていた。そんな批判を受ける年齢になっている。
これからの社会のことはこれからの人々に任せ、私は花や緑に癒しを求める。西日を遮る幕を張った。