天候に恵まれ、今日も朝早くからルーフバルコニーで土に残った根を取り出し、出て来たミミズを別の処理した鉢に移したりした。昼からは日陰づくりのために天幕を張り、せっせと小さなスコップで土を砕いていく。最後に、土を均して堆肥を撒く。午後3時を過ぎると西日が当ってきて暑い。続く作業は明日の朝に延期する。
同じ姿勢で何時間も続けていると、身体中が痛い。私の心臓はペースメーカーによって動かされているが、暑さの中での作業のためか、心臓が筋肉痛になっている。やっぱり長時間労働は無理な身体になってきている。昨日の夕方、卒業生から電話がかかってきた。「どうした?」とつい口にした。「何にも無いのに電話するのは、躊躇してしまうね」と彼は言う。
確かに何も無いのに電話はし難い。それでも話したい時が誰にだってある。私は出来る限り世間話になるようにと思い、パソコンを新しくしたらプリンターが動かなくて、今ノートパソコンを繋いでみたら印刷できたことを話し、技術の進歩についていけない老人の悲哀を伝えた。
彼は私が初めて担任を持った時の1年生だが、歳は皆より1つ上だった。私はまだ独身で長屋にひとりで暮らしていた。彼は学校帰りに私の部屋に寄ったり、私が彼の家に押しかけたりした。彼の部屋で、2・26事件を扱った漫画を読んだことを覚えている。彼は念願のトヨタに就職し、結婚して静岡のすそ野市にいた時は、我が家の娘たちも連れて4人泊まらせてもらった。
彼は独立してホイルのデザイン会社を立ち上げ、人を雇うまでになった。その時、「(部下が)ちっとも働かん」と嘆いていたので、「立場が変わると言うことも変わるね」と茶化して、彼を怒らせてしまった。脳梗塞で倒れ、片目を失明してしまい、世捨て人のようになってしまった。
「死ぬまではお互い、何とか生きていこう」と言って電話を切ったが、彼が私のことを気に留めてくれていたを知り、胸が熱くなった。懐かしい昔のことばかりが思い浮かぶ。
心配です…
卒業して50年ちょっと。「人それぞれにそれぞれの道あり」と言われますが、アルバムを見ながら同級生たちが今どのような暮らしをしているのかと、ふと考えてしまいました。それは自分自身が歩んできた道の振り返りだったかもしれません。考えているようにならず厭世的な時期もあったりして、私自身いい加減(適当)な生き方をしていると反省ばかりです・・・。
齢を重ね身体も思うように動かないこの頃、老化に抗うつもりはありませんが気持ちだけはいつも17,18歳のまま(愚鈍にして日々を重ねる)です。能天気と言われるかもしれません(笑)