「見た目で判断するのは恥ずかしいことよ」と女性が男性に注意していた。確かに見た目だけで分からないが、見た目がよくなければそれ以上の関心を持つこともない気がする。けれど、見た目は好き嫌いだから、誰かが「あんな人のどこがいいのか」と思っても、その人にとっては好みであるかも知れない。外見で人を評価すなどは愚の骨頂だが、好き嫌いを人からどうこう言われることでもない。
絶対的な真理というか、「正しい」ことも私には分からない。母親はよく子どものことは何でも知っているようなことを言う。昔、一緒に働いていた女性が母親からの過干渉に泣いていた。話を聞いていた私には、母親が子どものために言っているだけような気がした。しかし、彼女にはそれは耐えられないことだったので、私はただうなずいて聞いてあげることしか出来なかった。
その彼女が母親になり、ひとり息子は結婚した。その息子の初仕事を手伝ったり、鍵がない?ならばと東京まで出かけたり、好きなものを食べているだろうかよく眠れているだろうかと心配している。昨日のブログに「君に少しでも『(母は)がんばてるじゃん』って思ってもらえるようにがんばるの。それは君が生きたいように張り切っていてくれなければ、(君に)思ってもらう意味はないでしょう」とあった。
直接言えないけど、「結婚もしている息子につきまとい過ぎですよ。あなたのお母さんと同じことをやっています。彼が悩み苦しんでいるなら、一緒に解決するのは嫁であってあなたではありません。過保護に育てた覚えがない母親は困り者です」と伝えたい。人はいつも完璧じゃないから欠陥ばかりが目に付く。ダメな人間でいいじゃーないか。生きられるようにしか生きられないだから。評価なんて不要だ。
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