70歳になってから、合唱に参加した友だちがいる。音大を卒業したとか、合唱をしていたとかが多い中で、全くの門外漢の彼はよく「音が外れている」といじめられたそうだ。それでも歌いたくて、密かにボイストレーニングに通い、合唱に励んだと言う。来年はアメリカ、ニューヨークのカーネギーホールで歌うために身体を鍛えているとも話す。
助平だけが取り柄なのかと思ったが、とても努力家だったと今日知った。彼は満州から母と兄の3人で引き揚げてきた。子どもの頃は「ろくに飯も食えなかった」と言う。母と兄がとにかく働いて、彼を育ててくれた。名古屋市立工業高校へと進んだが、どうしても大学に行きたかった。2年浪人し、3度目の受験の時、大企業へ就職の話を友人が持って来てくれた。
「大学受験は限界だな」と思っていたので、それを母と兄に伝えたところ、二人から怒叱られた。「何のために母ちゃんと兄ちゃんは歯を食いしばって働いてきたのか。肝心のお前が逃げ出してどうするのだ」。それで一念奮起して京大に合格したと言う。「オレは2度死にかけた」とも話す。バイクに乗っていて衝突した。橋梁造りの現場で10メートルの高さから転落した。「それでも生き返ったのはまだ生きる価値があったのだ。もらった命だから、世の中のために返したい。そう思って生きてきた」と語る。
カウンセラーの資格を取得し、「ウツ」の人やニートの青年を支援したり、ヘルスカウンセリング学会の公認のストレスケア専門士として職場復帰支援を行っている。高齢になったら何もしなくなるのが普通なのに、どうしてそんなに前向きなのか不思議に思ったが、そういう過去があったのかと納得した。
定年退職してこれからゆっくりと過ごそうとした時、カミさんにガンが見つかり、手術も出来ない段階で、毎日必死で看病したが7カ月で亡くなった。「落ち込んだ。何も手に付かなかった」のに、1年後に10歳年下の女性と再婚した。「愛するというのはわがままを聞くことだと分かった」と言う。いろいろ教えられることの多い一日だった。
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