NHK大河ドラマ『光る君へ』が最終回を迎えるらしい。「らしい」と書いてしまったのは、後半になって筋書きがよく分からなくなったからだ。紫式部と道長が幼い頃に出会い、そして恋に発展していく辺りは、さすが大石静さんの脚本だと思って観ていた。
それが、野球などの中継と重なり、一応カミさんは録画しておいてくれるので、「何も観るものが無いわね」という時に観る。しかし、気が乗らないからか、物語の展開がしっくりこない。道長が権勢を維持するために手を尽くすのが、気に入らなかったのかも知れない。
道長が栄華を極めた時に歌ったとされる、「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも無しと思へば」を、私は何という傲慢な歌かと思っていたが、愛する紫式部を思う歌という説もあると知り、そんな恋愛の歌だったのかと納得してしまった。
ドラマは道長の生涯を、紫式部との恋愛を絡めて展開していて面白いと思った。けれど後半になって、どうでもよくなってしまった。平安時代は男性優位の社会だったが、女性たちもそれなりに性を謳歌していたようだ。そんな日本の伝統が崩れたのは、西洋文明を受け入れた明治以降ではないだろうか。
「あの女なら、やりかねない」という先入観で、マスコミは報道していたが、裁判所は無罪を言い渡した。「紀州のドンファン」を覚せい剤で殺したという裁判で、証拠不十分と審判された。検察はきっと高裁に控訴するだろうから、まだ結審とはならないだろう。
80歳になった私は、ドンファンの気持ちがよく分かる。せっかく手に入れたいい女なのに、自分の逸物が用をなさない。かなり焦ったことだろう。そこで覚せい剤を使用し、性行為を成し遂げたかったと推測する。ドンファンの最期は男の欲望が招いた、自業自得だったのだ。
年老いたなら、いくら「いい女」が現れても、決して性行為をしたいなどと思わないことだ。せめて、「何もしないから、抱かせてください」くらいなら言ってもいいかも知れないが、それ以上は望まないことだ。と、ここで、静かに幕が下りる。チャンチャン。
「むばたま」を検索中に見つけ良いなと思った歌
『むばたまの黒髪変わり白けても 痛き恋には逢う時ありけり』
これだけだとセーフだと思います。
『むばたまのその夜の月夜今日までに 我は忘れず間なくし思えば』
は状況によってセーフでもありアウトでもある。
女房が組紐の結びの作品額に「紐」「結び」が入ってるので書いた
『白妙の我が紐の緒の絶えぬ間に 恋結びせむ逢わん日まで』
はアウト〜!でしょうか。