友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

エディット・ピアフを聞く

2007年11月27日 23時59分03秒 | Weblog
 私は友だちのことを気にしている。どうして、気にしているかが友だちの文章を読んでわかった。中学高校からの友だちである彼はこんな風に書いていた。

 「人生も終盤を迎えつつある私たちには、やはり、『行かなければならない場所があり、会わなければならない人がいる。伝えたいことがあり、伝えなければならないことがある。』、そして自分の生きてきた意味が何であったかを、自分自身の力で探り当てておかなければならないと私は痛烈に感じていた。」

 私は今日、会いたいと思っていた人と昼飯を一緒に食べようと思っていたが、それは実現できなかった。返事が来なかったからだ。でも、結果的にはそれでよかった。孫娘が期末試験の第1日目でいつもよりは早く帰ってくる。カミさんは朝5時からゴルフに出かけていていない。孫娘が学校から戻ってきた時に、私は彼女を出迎えることができた。

 神様か仏様か、信仰心のない私が言うべきことではないが、むしろ返事をくれなかった友だちに感謝すべきなのか、とにかく今日はこれでよかったと思った。孫娘の帰りを見届けて、中野見夫住職の講演を聞きに出かけた。来年2月2日に、大和塾の第7回市民講座「いのちの讃歌」の講師をお願いしている方が、この町で講演されるというので、ぜひどんなお話なのか聞いてみたいと思ったのだ。

 中野さんは私よりも5つ年上だから、戦争のこともよく覚えている。真宗大谷派の寺の息子に生まれたので、空襲の犠牲者の葬られ方も実際に見ていたようだ。昭和45年に長男が遊びに行っていた川で行く不明になった。毎日川へ探しに出かけたが、見つからなかった。2ヵ月後に、中野さんの目の前を流れていく長男をを発見し、急いで川に入り抱き上げたそうだ。その息子さんの死から「いのちの讃歌」は始まった。

 子どものいのちを守ることは、平和を守ることであり、平和を守ることは戦争をなくすことだと、中野さんは話す。「仏教では、この世は全てが苦しみなのです」。会えば、別れなくてはなりませんし、愛してもいつかは死が訪れます。そうなのだと私は思いました。会えば楽しいし、愛すれば満たされる、けれでも完全とか完了ということはこの世には存在しない。だからこそ、生きている今を大切に、精一杯に生きることだと思った。

 中野さんは「以心伝心はダメですよ」と言う。「きちんと言葉に出して伝えなさい」。わかっているけれど、それは日本人である私たちには難しい。

 中野さんはシャンソンを歌う住職で知られているが、最後の30分はシャンソンなどを何曲か歌った。初めがエディット・ピアフの「愛の讃歌」だった。映画でエディット・ピアフを観たことを思い出し、彼女の一生も不幸であるが幸福であると思った。そして、ピアフが好きだという友だちに会いたいと思った。

 中学高校からの友だちが、話したいという気持ちが私にもよくわかる。何も昔の友だちだけでなく、今一番話したい人がいる、それなのに何を話したらよいのか、いや話すことすらもできないでいることに、苛立ちと悲しさを感じているのだ。
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