友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日から9連休だって

2012年04月27日 19時29分21秒 | Weblog

 明日から休みになる人は、5月1日と2日を休めば9連休になる。現役の時なら、子どもたちを連れてどこへ行こうか、どこも混んでいるから近場にしようか、いやむしろ富士山麓か信州方面へ出かけて長期滞在するか、と思案したものだ。カミさんの両親を誘って草津温泉まで足を伸ばしたこともあったけれど、あれは夏休みだっただろうか。ニューファミリーと言っても分からない時代になってしまったが、戦後の核家族の典型的な形を私は追っていた。

 5月5日と10月10日は、家族ハイキングの日と称して山歩きに連れ出した。家族の絆などと言うものではなく、それは家族という形の中でしか経験できない、たくさんのことを体験させてあげたかった。おそらく姉が、私の子どもの頃に父と母と妹と4人で、犬山や伊勢に行ったアルバムの写真を見て、「私の頃には一度もなかった」と言ったことが潜在していたのだろう。両親は姉や兄には厳しく勉強させたと言うが、私や妹に「勉強しなさい」とは一度も言わなかったと思う。

 父や母が、戦後をどのように意識していたのか分からないけれど、何かを強要されることは一度もなかった。私は、子どもが[したい]と望むものを、それが子どもにとって益になると思うなら、親は与えてやることだと思う。子どもも大きくなれば、何が大事で何が不要か分かるようになると私は思ってきた。子どもが欲しがらなくても、本は買っておいたし、次第にいやいやになってしまったがヴァイオリンも習わせた。子どもが学習塾に行きたいとは言わなかったので、行かせなかったけれど、水泳教室や英語教室に通ったことはある。

 何でも自由にさせていたかというと実は違う。子どもたちの友だちが我が家に来て食事をすることはあった。けれど、お泊りは禁止だった。「みんなやっているのに」と不満を言うが、「他所の家は他所の家。これは我が家の決まり」と受け付けなかった。何をやってもいい。出来れば他のことを忘れるくらい集中するものがあるといいと思ったが、普通の女の子に育ってくれた。普通であることは実に素晴しいことだ。私は子どもに甘い父親だが、頑固で融通が利かない面も必要だと思ってきた。自分の価値観を滅茶苦茶押し付ける偏屈な父親でもある。

 今、子どもたちもそれぞれに結婚し、長女は父親の違う娘ふたりを得たけれど、私たちジジババにはふたりとも可愛くてならない。姉はおっとりしていて優しいが、3歳になる妹はまだ未知数だが気の強い子になりそうだ。早くも天才振りを発揮し、みんなの関心を集めている。子どもは誰もこんな風にして大きくなっていく。次女夫婦には子どもはいない。創らないようにしているのかと思っていたら、欲しいらしい。子どもがいなくても、それはそれで幸せな家庭はいっぱいあるから、高齢での出産よりもその方がよい気がするが、それは私の勝手な思いでしかない。

 連休の後半に、次女夫婦とダンナの実家がある関西へ行く予定だ。次女のダンナが車で連れて行ってくれると言う。乗せてもらう旅は久し振りだ。よい天気になって欲しい。

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