友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小学校の卒業式に中学校の制服

2007年03月20日 19時12分00秒 | Weblog
 今日は孫娘の小学校の卒業式です。
 孫娘の小学校では、ほとんどの子どもが中学の制服で卒業式に参加します。娘たちの時もそうでした。初めてその光景を見た時はビックリしました。私学に行く子はその学校の制服を着ているので、あの子はあの中学校へ行くのだとわかります。以前に制服を着るのがイヤで、私服で来る子もいました。服装について実は決まりはありません。どんな服装でもよいのですが、いつの間にか中学の制服でとなったようです。ですから、先生に尋ねると「別に決まりはありません」と言われます。

 いつ頃からどうして中学の制服で卒業式に参加するようになったのか定かではありません。昔まだ物が豊かでなかった時に、中学の制服を用意するのだからせめて晴れの卒業式はその制服を着せてやろうという説。物が豊かになってきて、卒業式の時の子どもたちの服装が派手になり、差が生まれないようにと中学の制服になったという説。誰かこの歴史を知っている人があれば教えて欲しいです。小学校の卒業式に、中学の制服で参加するのはこの地域だけなのか、それともまだ他にもこのようなスタイルのところがあるのかも知りたいと思います。

 毎年、小学校の卒業式に参加させていただいて、制服の件は異様に思いましたが、式典そのものは感動的でした。私たちの卒業式といえば、壇上に校長が立ち式辞を述べ、教育委員会の告示があり、来賓の祝辞が続き、子どもたちは立ったり座ったりを繰り返す、厳かで整然としたものでした。今の小学校の卒業式は、体育館のフロアに卒業生と在校生が対面して座り、両脇に先生と保護者が座り、厳粛であることに変りありませんが、子どもたちが呼びかける言葉の一つひとつや歌う歌の一曲一曲が厳選されていて、とても良い卒業式です。私はただ見ているだけなのですがどうしても涙が溢れてきてしまいます。卒業する子どもの一人ひとりが主役の卒業式となっています。

 孫娘の卒業式には、タイから帰国した次女も行きましたし、私まで行ったのではあまりにも爺馬鹿な気がして控えました。どんな卒業式だったのか、孫娘はどんな様子だったのか、今晩にでも話を聞こうと思っています。そういえば昨日、卒業アルバムと卒業文集を学校からもらってきて見せてくれた時、アルバムの表紙の裏に何か一言書いて欲しいと言いました。初めは誰かと交換するために、孫娘の代わりに書くのかと思いました。話を聞くと友だちや先生が寄せ書きをしているので、祖父の私も何かメッセージを書いて欲しいということでした。爺にも栄光を与えてくれたのです。

 そこでいろいろ考えてみましたが、やはり娘たちにいつも言い聞かせてきた言葉を孫娘にも送ろうと思います。
 「人には優しく、自分には厳しく。いつも前向きに」
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無党派市民派であること

2007年03月19日 18時23分35秒 | Weblog
 選挙の季節である。
 ポストにチラシが入っている。読んでみるがなかなか心に飛び込んでくる文章に出会わない。こうしてみると、私も12年間、機関紙を作り続けて自分の考えを伝えてきたが、何人の方の心に届いたのだろうかと思う。

 今朝の中日新聞に、2大政党化が進み無党派には逆風という記事が載っていた。もともと10,000票以上を獲得しなければ当選できない選挙では無党派の当選は難しい。しかし、1000票前後の地方議員選挙では、地盤・看板・かばんのない人でも、政策と人柄を必死で訴えかければ当選できる。何しろ有権者の2~3%の人に投票してもらえばよいのだから。誰からも支持をもらおうと考えずに、自分の考えに賛成してくれる人を見つけ出せばよい。既成政党ではダメだと考えている人は結構いる。そういう人たちに自分をアピールし続けることだと思う。

 「マニフェストが定着して選挙がより政策本位になった」と分析している人もいるが、私は懐疑的だ。まだまだ地方議員選挙では、議員を地域代表かグループや個人に利益持ってくる人という意識が強い。それでも「政策本位での選挙」に近づけるためには、「私は自治体の将来のために働くが、あなたのためには働きません」とハッキリ言える議員が生まれる必要がある。

 国会での中継を見ていると、この野党議員は何を引き出すために質問をしているのだろうと思う。質問するために質問しても、議員の務めは果たせると考えているのかもしれないが、一歩も追い込めないし、何も引き出せない。論争は相手の矛盾に食い込んでいかなければ、ただの言いっ放しでしかない。矛盾を追及できないのは、自分に力量がないか相手が正しいかである。質問しておいて、その答えについて追求できないふがいなさに驚くとともに腹が立つ。

 東京都知事選挙では、現知事の石原氏と前宮城県知事の浅野氏の戦いに注目されている。この二人と元足立区長の吉田氏と建築家の黒川氏の4人による公開討論会の様子をテレビでチラッと見た。この限りでは、浅野氏は当選できないのではないかと思った。出馬の経緯もあまりに慎重だったというか、策に溺れた感じだった。そこは目をつぶるとしても、東京オリンピック誘致についての曖昧な態度は評価を下げたように感じた。賛成なのか反対なのか、有権者はもっと明快な意見を求めていたはずだ。公開討論を少し聞いただけで評価してはいけないかもしれないが、浅野氏の発言は官僚的だなと感じてガッカリした。

 地方には、これからの政治のあり方を先取りしたような首長がいる。自治のあり方を真剣に考えていった結果自ずと至ったのだろうが、いずれの首長もよく似た施策を実行している。その基本は徹底した情報の開示であり、住民参加である。行政は効率的であるに越したことはないが、効率は目的ではない。市民一人ひとりの意思が反映される仕組みづくりが大切だ。
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お酒は大勢で飲む方がいい

2007年03月18日 22時05分46秒 | Weblog
 タイのバンコクから次女夫婦が帰国した。
 遅れた正月休みといったところである。久しぶりの日本はそれまでの暖かな冬から本格的な冬へと逆戻りしたように寒い。南国から戻った彼らにはこの寒さはとてもきついようだ。ところが、帰国した最初の夜は我が家で食事をしたものの、翌日からは誠にハードスケジュールが続いている。学生時代の友だちや職場の友だちや連れ合いの友だちやとの宴会で、毎晩遅くに帰ってくる。1日目などは午前様で、1時間もしないうちに早朝からゴルフに出かけた。若いということはタフだということでもある。仕事の関係であればいろいろと気を遣わなくてはならないが、友だちというのは遠慮がいらないから飲んでいても楽しいのだ。しかも、久しく会っていないだけに話も尽きないのだろう。

 私も飲む機会を考えると、初めて社会人となった時の職場の同僚、中学・高校の友人、住んでいる地域で知り合いとなった友だち、無党派市民派のネットの仲間、議員の時の同じ会派の人の5グループに分かれる。かつての職場の仲間は近頃ではお呼びがかからない。誰か熱心に声をかける人がいないとどうしても遠くなってしまう。中学・高校の友人と飲むようになったのは、最近のことだ。定年退職し、なんとなく昔が恋しくなってきたからなのだ。「自分探し」と言っているが、中高時代の自分がどういう人間であったのか、人生の足取りを確かめたいと思うからだろう。友だちが自分をどのように見ていたのか、それを聞くことで自分を見つけようとしているのだ。

 一番機会が多いのが地域で知り合った友だちとの宴である。月に一度は集まる。お互いの家からご馳走を持ち寄り、ワイワイおしゃべりしながら飲む。会えない時があると淋しくて、適当な口実を設けて宴会をしている。旅行にも出かけた。友だちのお姉さんがアメリカにいるので、みんなで訪ねて行ったこともある。今年はそのお姉さんの家族が日本に来るというので、またみんなで日本の温泉地へ出かけようという話で盛り上がっている。

 お酒は人を愉快にしてくれる。心の垣根をはずしてくれる。私はそんなにお酒に強いわけではないが、みんなで飲むのは好きだ。一人で居酒屋へ行ったことは一度もない。一人で飲食店で飲むこともない。一人で飲むとすれば、我が家でテレビを見ながらである。やはりお酒を飲む時は大勢の方がいい。気の置けない仲間と飲むのが一番いい。仕事で飲んだ時はお酒を殺して飲むというか、気を遣って飲んでいた。酔っ払ってはいかんと言い聞かせながら飲んでいたから、家に帰るとバタンである。今は何も気を遣うことなく飲めるので幸せそのものである。
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花ダンより冬ソナ

2007年03月17日 18時07分20秒 | Weblog
 昨夜はテレビドラマ『花より男子(ダンゴ)』の最終回だった。
 孫娘は「絶対しゃべらないでね」と念を押して、テレビの前で構えていた。テレビを見ているとつい、ぶつぶつと私が言うので、通告してきたのだ。「ああいいよ、絶対何も言わないから」と約束した。私は一人、テレビから離れてワインを飲みながら、それでも時々画面を見ていた。しかし、やっぱり腹が立ってきた。

 年老いた私には全く馬鹿馬鹿しいとしか思えない。韓国ドラマ『冬のソナタ』と比較すること自体が間違っているのだろうが、その片鱗もない。もう少し見習ったらと思っていたら、『冬ソナ』にあったような場面も出てくる。場面のパクリではなく、課題の深みなのになあーと思う。『冬ソナ』も日本のテレビドラマで山口百恵さんがやっていた『赤いなんとか(題は忘れた)』の影響を受けていると思うが、日本のドラマよりも深みがあった。

 『花ダン』は若い男女の恋愛をテーマにしている。大金持ちの4人の男子の友情も、女の子同士の恋愛の駆け引きや裏切りや友情も出てくる。小学校の女の子たちが夢中になっているのだから、無理なのかもしれないが、あまりにも深みがない。原作はマンガだそうだが、マンガでも文学作品並みに感動的なものもある。上村一夫の『同棲時代』はマンガとは思えなかった。少女マンガの『キャンデーキャンデー』も味合いがあったし、テレビドラマの『東京ラブストーリー』も原作はマンガだったが言葉に重みがあった。

 『花ダン』では、主人公の男を好きになった女の子がその男にいろいろと尽くすのだが、主人公の男は「お前のやることはみんな自分のためじゃーないか」と女の子を非難する。馬鹿じゃーないかと思う。愛するっていうのは全て自分のためだ。自分のためでなく愛することができるのは神しかいない。だからみんな苦しむ。愛することは同時にお互いを傷つけ合うことだ。どうしてそうなるのかわからないが、愛すれば愛するほど深く傷つけ合うことになってしまう。先日書いた『オセロ』は愛したがために殺してしまう。

 それほどに、愛することは切ないだけでなく苦しいものなのに、主人公の男女の恋愛は空回りした時にやたらと怒鳴りあっているに過ぎない。「お前はオレの運命の女だ。やっぱりオレたちは運命共同体だ」の主人公の男のセリフに、孫娘は「キャーしびれる」と大喜びだ。全くキザなセリフだが、おそらく愛する人に出会い、そして愛が成就するなら、誰もがそう思うだろう。一つの愛が成就した時、その次はどうなるのか。なぜそこが終着点にならないのか。愛する人と一緒になるという望みが叶ったのに、愛はそれで終わりとはならない。いつまで経っても同じことを繰り返して生きていく、それが人生なんだと知るにはまだまだ時間がかかる。

 孫娘の年頃は「恋愛」が最大の関心事のようだが、何度かの哀しい思いを経て、人をより深く愛することができるようになっていくのだろう。孫娘がどんな人とどんな恋愛をすることになるのか、心配でもあり楽しみでもある。
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男は紳士になれ

2007年03月16日 18時37分19秒 | Weblog
母のことは父以上によく思い出す。
母は明治の末に生まれた。田舎の農家の長女だった。明治の半ばには私立の高等女学校が開校していたが、まだ女性が学問することは一般的ではなかった。まして、鉄道も開通していないような田舎では、女子を進学させることなど考えにくい。母の父親はたくさんいた兄弟の中で母だけをなぜ進学させたのだろう、その理由はわからないが、母は親元を離れ、高等女学校へ進学し、教師になった。そのためか、田舎の人には珍しくハイカラな考えの持ち主であったようだ。代用教員をしていた2歳年下の役者のような美男子であった父と恋に落ちて結婚した。材木屋の跡取りであった父の勝手な結婚に祖父は怒り、二人の苦難の生活が始まった。母は小説家を夢見ていた父のために尽くしたようだ。しかし子どもが産まれ、父は教師になる道を選び、師範学校へ進んだ。

こうした母のことは後に姉や従兄弟から聞いた。私が小学校へ入学する頃は、母は教師を辞め、近所の若い女性たちに裁縫を教えていた。同級生の母親に比べて年老いている母が私はイヤだった。母は感情の激しい人だった。小学校に入学する前に子ども用の自転車を買ってもらった。嬉しくて乗り回しているうちに、チリンチリンとなるベルのふたをどこかに落としてしまった。そのまま家に帰ると、母にすぐに探しに行けときつく言われたことを覚えている。小学校の中学年の頃だと思うが、何かの時に「こんな家はイヤだ。姉の家の方がよっぽどいい」と言ったことがあった。すると母はそばにあった物差しだったか箒だったかを持って怒った。私はビックリしてすばやく逃げたが、逃げ遅れていたならお尻にあざができていたであろう。

 ある日、見ず知らずの貧しい身なりの女の人が訪ねてきた。「お金を貸して欲しい」と言う。母はいくらかのお金を包んで渡した。裁縫教室の女性たちは「先生、あれは乞食でお金なんか返す気持ちなんかない。やっても無駄だよ」と母に言っていた。母は「いつかきっと返しに来るわよ」と、非難に笑って答えた。母は困っている人を見ると放っておけない性質だった。お金がないと言いながら、借りに来る人には何とかやりくりしてでも用立てしていた。お正月前や春先などはよく縫い物を頼まれていた。そんな時は何日も徹夜がつづいた。「身体だけは丈夫だから」と自慢していたが、私が高校1年の時に亡くなった。

 中学3年の頃から少しずつ体調を崩していたと思うが、決して何も言わなかった。高校生になってしばらくした頃、母は入院した。見舞いに行く度に母の身体は小さくなっていた。ふっくらしていた顔もやせた。それでも気丈夫さは少しも変らなかった。夏が近づくと、父や姉に私より2歳年下の妹のことを「頼むね、頼むね」と言うようになった。母の危篤の知らせを聞いて病院へ行ったが、すでに亡くなっていた。病院の車で母を家に連れて帰ることになり、私が母の身体を抱きかかえてくるままで運んだ。あまりに軽かった。小さかった。本当に骨と皮だけになってしまっていた。車に母を乗せ、私は一人病室に戻った。先ほどまでは母が寝ていたベッドはなにもない。それまで、なぜか全く泣けなかったのに、涙が止め処もなく流れ、母のいたベッドに伏して泣き続けた。

 物差しを持って追いかけてきた母はもういない。高らかに豪傑笑いをする母はもういない。「男はね、紳士にならなくてはいかんよ」と言っていた母はもういない。どこにも母はもういないのだ。そう思うと本当に泣けた。
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名演「オセロ」を観る

2007年03月15日 19時03分04秒 | Weblog
 昨夜、名演で「オセロ」を見ました。
男たちの野心と嫉妬は誠に罪作りです。男たちは自分の出世を望みます。そのくせ男たちは出世した男に嫉妬します。女は男を心から愛しているのに、男は女が他の男に情をかけていると聞いただけで嫉妬してしまいます。男の独占欲は誠に勝手なもので、女は自分だけのためにあると決め付けているのです。女はまだ若く純情で、愛する人はただ一人だけです。しかし、男は年老いていますから、自分がそうであったように、ひとりの人しか愛せないことを信じません。人の心は移ろいやすいものです。そうではあっても、愛していることは真実で紛れもない事実なのですが、なかなか理解しようとしないのが人間です。

 オセロは愚かな人間です。本当に人の上に立つ人間ならば、あのような間違いを犯すことはありません。私の友人が、「いざこざがあった時、一方だけの言い分を聞いてはいけない。一方の言い分を聞いたら、相手の言い分も聞くことです」と、私に教えてくれました。彼女は大手の広告代理店の管理職にあったので、きっと自分の経験から、片方だけの言い分を鵜呑みにすることの怖さを知っていたのだと思います。私も新聞を作る人間として、彼女の忠告を黄金律のように守ってきました。記事はどんなに客観的に書いたとしても、主観的なものです。当たり前です。記者の主観があり、新聞社の主観があります。しかし、取材は片方だけでなく多様でなくてはならないと思います。

 オセロは立派な将軍とベニスの人々に尊敬されていたようですが、片方だけの言い分を聞いて判断したのでは、下の者を苦しめることになります。オセロが本当に上に立つにふさわしい人間ならば、何が正しいのかと悩んだ時はどう解決をするべきか、判断できたと思います。それができなかったところに、オセロの悲劇があります。オセロは「愛するがために、その愛の深さがゆえに、過ちを犯した」と最後に言います。本当に愛していたのなら、殺したりしないのではないかと私は思います。芝居だから客観的に見られますが、現実の生活の中ではやはりオセロのように妄想に取り付かれてしまうのが普通の人間なのでしょう。そのことの怖さをまず知ることだと思いました。

 オセロを陥れるイアーゴーはどういう人間なのでしょう。考えてみれば、ほとんどの男はイアーゴーみたいな者です。人をねたみ、自分のことしか考えられず、挙句の果てにとんだ思い違いをしてしまいます。力が無いのは自分です。それなのに、とにかく悪いのは相手であり、社会であり、運命でありというわけです。自分のことは棚上げにしてしまう人ほど自分の力の無さに気付きません。力が無いことは悪いことではありません。力がなければ力をつければよいのです。しかし、人にはそれぞれ限界があります。それがわかれば、そのように生きればよいのです。気楽に楽しくやればよいのです。


 それが分かるまで、人は悶々と生き続けるのでしょう。オセロは自分の過ちに気付き、自害します。そうして欲しいし、そうすべきだと思いました。罪の無い人を苦しめ死に至らしめたのですから、当然その責を負うべきです。私は、自分がこの世に生を受けた意味をいつ知ることができるのか、楽しみに生きています。
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酒と肴でお見舞い

2007年03月14日 16時43分51秒 | Weblog
 昨日は、中学以来の友人を見舞いに行く予定でしたが、都合が悪くなって出かけることができませんでした。病気で入院していた友人が退院し、「表面的には変りありません。特に体の芯の部分はアルコールで消毒していますので、元気になりました。が、人生成る様にしか成らないので、近々貴兄と人生の消毒をと考えています。24時間電話の前で待っています」とハガキをくれました。善は急げとばかりに、もう一人の友人を誘い、酒と肴を持って見舞うに行こうという企みです。

 カミさんは「退院したばかりなのにいいの?あなたの勝手な思い込みじゃあない?」と心配します。何でも自分の都合の良い方に解釈する、自分勝手で自己中心な人は相手に対する思いやりに欠けるというのです。確かに私は自己中心なのかもしれませんが、それで相手が喜んでくれるならば良いのではないかと思っています。『高瀬舟』の囚人ほど、相手のことを思いやることはできないかもしれないが、自分の出すぎた行為が少しでも相手を喜ばせることになるなら、それがたとえ非常識なことであってもやってあげたいと思うのです。

 彼から好きな女の子がいるとの告白を聞いたのは、高校3年生の時でした。その彼女と結婚し、彼女の影響で山歩きもするようになったと以前聞いたことがあります。「ナンパ」する時はすごく身体もよく動くのに、身体を使って何かをするとなるとすぐ「そんなめんどくさいことができるか」と言う奴です。本当はかなりの勉強家だったのに「アホ臭くてやれるか」と無頼漢を装ってもいました。私が政治に関心を示すと「そんな尻の青いことは止めとけ」と言いながら、カンパをしてくれました。口では否定的なことばかり言っていたような気がしますが、心の中では否定の対象を応援していたのだと思います。それをストレートに表さない男を通してきました。

 中学の時、交通の検問をしていた警察官に対して私が悪態をついたことがあります。大きな車は通して、小さな車ばかりを止めていたので、なぜか腹が立ってつい口がすべって警察官を馬鹿にしたようなことを言ったのです。警察官はすぐ私のところに来て、「どこの中学だ。名前は?」と聞いてきました。私は黙っていました。その時、彼は怒りを顕にしている警察官に進み出て、「悪気があって言ったわけではありませんから」と私をかばってくれました。同じ中学以来もう一人の友人が「特別な関係なのか」と疑いますが、私は自分の友だちの全てを大切にしたいと思っているし、そうしてきたつもりです。ただ、彼には恩義があるとずっーと思っています。
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大和塾の方向が見えてきた

2007年03月13日 17時54分19秒 | Weblog
本日は大和塾の3月定例会でした。
市民のための勉強会を目指して発足して、早くも6ヶ月になりました。第1回の市民講座は「ヘレン・ケラーと塙保己一」を、第2回目は「『如是我聞』で始まる仏教」をと行い、順調に参加者も増えてくれています。講演会の無い月は、会員だけで自由に話し合うことにしています。今日はその自由に話し合う第2回目の定例会です。

今日、話題になったことの中に、「男の料理」がありました。料理の好きな男性が「私は料理をしながら、道具や器具も洗い片付けています」と話されました。偶然なのでしょうが、やはり料理好きな男性が「私もそうです。ごちゃごちゃしていたら料理はできませんから」と同調されました。するともう一人の方が「料理店の調理室はどんなに忙しくてもキレイにキチンとしていますね」と言います。女性の方たちから「私たちの出る幕はないわね」と言われて大笑いとなりました。仕事の手順が良いか悪いか、几帳面か大雑把か、個人差の問題で、男性だから女性だからではないと思いますが、そんなことから、2回目の定例会も打ち解けてきて、これからの大和塾の活動について、具体的で率直な意見や提案が出てきました。

「せっかくこうした活動をしているのですから、市民に向けてのアピールをしていってもいいのではないか。小冊子を作るのはどうだろう」という提案がありました。現在はパソコンができれば原稿はメールで送ることができます。集まった原稿をレイアウトすれば出来上がります。じゃー何を書くのか?ここでもいろいろと意見が出ました。「レベラルであることが大事だ」と言われました。「リベラルとはなんですか?日本語で言えばどういうことですか」「自由ですよ」「何を書いても、どうかいてもよいということです」などなど。市民のための勉強会というのは「私たちが勉強するのか、私たちが市民を啓蒙するのか」「私たちが勉強することで、市民にも呼びかけられるのでは」などなど。少し煮えてきたように思いました。

私は民主主義で一番大事なのは「自由」で、それは自分以外を否定しないことだと思っています。もちろん、私自身は憲法改正には反対です。わが国の憲法は理想論で現実に即していないから改正すべきだという考えには断固反対です。憲法が理想であると認めるならば、現実を理想に近づけることが私たちの務めだと思っています。それでも、いろいろな考え方が存在すること自体は事実ですから、それぞれがその思いを出し合えばよいと考えています。現実的ではない、アメリカに押し付けられたものだ、というだけで、自分と違う考えをなきものにしてはならないと思っています。どういう社会をあるいはどういう国をつくっていくのか、戦争のない世界をどうやって実現していくのか、大いに議論していくことだと思います。

相手の言い分を聞きながら、その根拠としているところをつぶしていけるなら、自分の言い分が正しいのでしょうし、できなければ自分が間違っていたということではないでしょうか。ヒラリー・クリントンは、高校・大学でそのような論争をしてきたことを伝記で書いています。1月の定例会で、「古典を読もう」という話題が出ました。私は今、『論語』を読んでいますが、孔子の論法につながるような気がしています。
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偶然を受け入れれば必然

2007年03月12日 19時14分51秒 | Weblog
今日は天候が変である。
朝には雪も舞っていた。風は一日中強く吹いている。昼食をとった後、私はテレビをつけたまま、縫い物をした。昨日、孫が「お願いがある」と言って、孫の母親つまりは私の娘のスカートを持ってきた。スカートの裾のほつれを直して欲しいというのである。娘が孫に言いつけたのであろう。テレビに目をやったりしていたので、所々縫い目が曲がっているがまあこれでよかろうと思う。

私の母は裁縫を得意としていて、教室を開いていた。以前は学校で教えていたらしい。物心ついた頃には、家で近所の娘さんたちに裁縫や編み物を教えていた。教室で娘さんたちが縫い物をする姿を見ているのが好きだったので、縫い物は自然とできた。一人暮らしの時もボタンの取り付けやほつれを直すことは自分で充分にできた。四谷シモンという人形作家がいるが、人形が芸術になると子どもの頃に知っていたなら、そういう道に進むことだってできただろうにと思う。

人がどんな道に進むのかは偶然な要素が多い。幼い時から自分が何になりたいとかハッキリしている人は幸せである。何がしたいのか、何になりたいのか、ハッキリしないままに大きくなり、たまたま入った学校やそこでの成績、出会った人など、いろいろな偶然が重なって、職業に就くことになる。就いた職業を自分の天職とするか、そうは思えなくて天職を求めて転職するか、どんなに思い悩んだとしても結局は死ぬまでわからないのかもしれない。

中学の同級生の中にも、卒業してすぐ養成工になるつもりだったのに健康上の理由で入社できずに普通高校へ進学し、大学の薬学部を出て薬剤師になったものがいる。たまたま中学の時に病気治療のために休学したことから、担任が普通高校ではなく商業高校へ勧めたことで、担任を恨んでへそ曲がりの振りしたまま今日に至ったものもいる。文学青年だったのにやり手のサラリーマンとなったものもいる。親の職業を継いで大工となり、大卒の2倍を超える年収を稼いでいたものもいる。高校は家庭科を出たけれど、その子どもは東大を出たものもいる。

人生は結局偶然の積み重ねではないだろうか。
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私はおせっかい

2007年03月11日 18時12分39秒 | Weblog
 人間は不思議だ。
 自分ひとりでは生きていけない。それなら人をもっと頼りにしてよいはずだ。もっと人を愛してもよいはずである。それがどうしてできないのだろう。なぜ、恨んだり、妬んだり、嫌ったり、殺してやるとまで思うのだろう。

 私は、どうも必要以上におせっかいをしてしまうようだ。先日も名古屋市の中区役所の前を歩いていたら、老夫婦に声をかけられた。後になって、たくさんの人が歩いていたのに声をかけられたのは、声をかけられやすい何かが私にあるのかと考えた。老夫婦の夫人の方は片目が悪いようだった。夫の方は、夫人に手を引かれて、足取りはおぼつかなかった。「オアシスのバス停はどう行けばいいのですか」と夫人は言う。口で言ってもまた困るだろうと思い、「一緒に行きましょう」と連れて行った。

 また、孫のクラスの男の子に手紙を出した。もうすぐ卒業である。クラスで一番かわいいと思う男の子だが、いつもじっとしていることができない。保育園の頃はそれがよけいにかわいかったけれど、小6ともなると、先生もたぶん親も許せない。ちょっかいを出しては叱られ、さらにちょっかいを出すということの繰り返しだ。「わたしは、あなたのファンです。あなたはジャニーズのスターになれると思っています。中学では音楽と体育はスターになる絶好の勉強の機会です。これからのスターは英語が話せることも大事なので、この3科目はしっかり勉強して、必ずテレビに出てください。楽しみにしています」。そんな内容の手紙を書いた。

 また、私たちも歳をとったので、友人の中にも病気になった友だちがいる。それはとても気になる。しかし気になっていることを伝え過ぎれば、彼もまた病気を気にし過ぎることになるだろう。さらりと、しかしできる限り打ち克って欲しいと伝えたい。そんなことを飲みながら話していたら、相手が「(友人とわたしは)特別な関係なのか」と言う。そんなひがんだようない言い方をせずに、「一緒に見舞いに行ってやろうよ」とでも言って欲しかった。同じ学校で同じ時間を過ごした仲間である。気にして当然だと私は思うし、度が過ぎるわけでもないと思う。

 私はまだ、生かされているし、人のことが心配できる。私には人類を幸せにすることはできないが、せめて自分が見える範囲の人たちが幸せになれるようにと思う。自分のささやかなおせっかいが役に立つならばと思う。
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