友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

姉はボケていなかった

2016年04月20日 18時09分17秒 | Weblog

 姉の見舞いに行ってきた。玄関を入ったところにマスクをするようにと掲示がしてあるので、私たちはマスクをしていった。部屋に入ると姉がみんなを見回していたので、「誰だか分かる?」と聞くと、「それほどボケていません」と言う。姉が私に「(何かを)ちゃんとやりなさいよ」と言うので、「はい、分かりました」としおらしく答えると、姪っ子が「どんなに年取っても、お兄ちゃんのお姉さんだ」と茶化すと、「当たり前、歳を超すことは出来ません」と言う。

 今日はとても調子がいい。冗談を言ってもすぐに反応するし、言うことは正論だ。妹の娘の中学1年になった男の子はなかなかユニークで、勉強はしないのにテストの成績がいい。「中学は小学校のようにはいかないから」と姪っ子が心配する。姪っ子の長男も自分の好きなことには没頭するが、嫌いなことには見向きもしなかった。学校でテストがあり、百点取っても教室のゴミ箱に捨てて来てしまう。

 「担任がそれを拾い上げ、父兄懇談の時に見せられ、恥ずかしかった」と姪っ子は言う。先生に注意され、親から叱られても全く意に介さない。高校進学もせっかく有名校に合格しながらこれを蹴って、高専に進み、名工大を卒業した変わり者だ。そんな話をしていると姉が私を振り返り、「あんたはどうだった?」と聞く。「私はそんな優秀な天才ではなく、小さい時からいい子で育ったから」と答えると、カミさんの方を見て「あなたの方がもっと優秀だよね」と言う。

 それで、みんなで大笑いしたけれど、ボケているとは思えない会話のやり取りだった。今度は妹に「あんたはどう?」と聞く。「私は勉強嫌いだった」と答えると、「嫌いなら仕方ないね」と真顔で言う。「いや、中学2年でお母さんを亡くし高校進学を相談する相手もなく、高校1年でお父さんが死んだから、一番苦労したと思う。小遣いは誰にもらっていた?」と私が妹に訪ねると、「覚えていない」と答える。小遣いがもらえるような状況になかったのが本当のところだった。

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男女共同参画フェスタの打ち上げ会

2016年04月19日 17時26分56秒 | Weblog

 男女共同参画フェスティバル実行委員会の打ち上げが日曜日の夜に行われた。参加者は20人ほどだったが男性は6人で、圧倒的に女性が多い。酔ってもいないのにきわどい話を平気でするのも女性の特性なのかも知れない。学童保育の先生が男の子を捕まえてこんな話をしたと言う。「ねえ、先生は持っていないけど、君たちが持っているキンのタマは大切なものなの?」と聞いたところ、男の子は「うん、大切だよ」と答えたという。

 「これって、セクハラ?」と言うので、「セクハラじゃん」とやり取りが続く。「女性は中にあるけど、男性は外にあるから傷つきやすいのよ」と言えば、「そもそも男は遺伝子が1本足りないじゃーない。初めは女性で、その成長するになかで男性に変わるものがあるの」。「だから子どものうちは男の子は病気にもなりやすい。女性の方が強くたくましいから数も多い」。「そうね、男は意外に傷つきやすいものね」と大笑いになる。

 男が威張るのも弱さの裏返しなのかも知れない。現代の女性は外に出て働き、収入もあるから男性は「愛する対象」だが、私の子どもの頃は戦後といえどもまだ男が威張っていた。「男子厨房に入らず」という言葉があったように、台所は女性の場であった。男は食事が用意されてから食卓に着き、酒を飲み、酌をさせ、茶碗に飯を盛ってもらった。家のことに女が口を出すことはなかったし、必要なお金も夫が分け与えていた。

 「本当に男尊女卑だったのですか?」と若い人は言うけれど、離縁されたら生きていけなかったので従うしかなかったのだ。そんな家庭を見てきた私たちは、戦後の新しい社会の中で家庭のあり方を変えてきた。核家族であったことも影響しているが、家族は平等という意識が根強い。男だから、女だからという差別する風習も無くした。学校での成績を見れば、女の子の方がよいから男の子たちも納得した。

 でもまだ、社会は制度として男女を平等に扱っていない。女性が家庭でどんなに強い存在であっても、社会制度としての平等にはなっていない。制度は男女が希望し議論し作り上げていくしかないのだろう。たとえ女性の方が酒をよく飲むとしても、それは平等の次元が違うから。

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薔薇と経験

2016年04月18日 17時17分36秒 | Weblog

 バラが咲いた。連休の頃に咲き始めるのに今年はずいぶん早い。昨年の秋、バラの剪定して鉢の土を入れ替える作業をした時、根元に痛みのあった一番古いバラをあまりに構い過ぎた。冬場に新しい芽ができていたが育たない。ひょっとしたらと思いながら観察していると、新しい芽は3つとも枯れてしまった。あの時、何もせずにおいたら、今年はもっと多くの花を咲かせたのに残念だ。「過ぎたるは及ばざるごとし」は、経験から生まれた格言である。

 私は子どもの頃から、「人間とはどういうものか」に興味と関心があった。人は平等である。人の上にも下にも人はいない。平等のはずの社会に貧富がある。身体が不自由であったりする事情があれば、そこに差が生まれる。けれども助け合うことは出来る。「ある者がない者に与えれば」平等になる。それを「愛」とキリストは言った。西洋はキリスト教社会になったが、平等にはならなかった。フランスで革命が起り、「自由・平等・博愛」の社会に向かった。

 近代は民主主義社会と位置付けられた。誰もが投票できる選挙で政治家を選び、社会の仕組みが決められていく。けれども国民の気持ちと実際の政治とは大きな開きがある。これはどこの国でも見られる傾向だ。民主主義は過渡的なものなのだ。まだ、これから人間は「自由・平等・博愛」社会がどういうものか、手探りを続けていくのだろう。

 15日の夜、私が参議院議員の秘書をしていた時の仲間が集まって飲んだ。ひとりは選挙の最初から事務所に入り浸っていて、議員のことが心底好きだった。私も他のひとりも、途中から事務所入りしたので議員とは主従の関係でしかない。選挙は候補者にぞっこん惚れ込んだ者がいなければ回っていかない。けれども政策はファンだけでは立案できない。そんな昔の思い出話になった。

 「国民の多くが戦争はダメだと思っているのに、国会では成立してしまう。選挙になると国民の気持ちとは違う人が当選する。ここが一番の問題だ」。「個人がどこに立っているのか、個人主義に徹することだと思う」。「個々の人間が自分の考えを極めること」。酒が回ってきた。政治も経験の積み重ねである。

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毒になる言葉と薬になる言葉

2016年04月17日 15時51分02秒 | Weblog

 新築祝いと入学祝いの「宴」をぶち壊してしまった。次女とはよく言い合いになることがあるが、長女と言い争いになったのは昨日が初めてだ。帰り道で、長女のダンナのお父さんから「醜態はイカンです。私は争いが嫌いなので、何も言いません」とお叱りをいただいた。それでも事態を振り返ってみると、長女が私ではなく、ダンナに加担してくれてよかったと思う。あの場でもし、私の肩を持つような発言をしていたら、とんでもないことになってしまっただろう。

 ことのいきさつは、長女のダンナが「親の世代が、結婚し子どもをつくるようにと教えてこなかったことにある」と言ったことに、私が反論したからだが、長女には「また、発狂した」と見えた。「結婚するのも、子どもを産むのも、それは個人の自由でしょう。社会のため、国のためではおかしいよ」と、私の持論である個人主義を主張した。結婚する人もいればしない人もいる。結婚しても子どもはつくらない人もいる。

 それを親が「結婚して、子どもをつくれ」と教えなかったと親の前で言うのは許せない。どんなかたちであっても親は子どもの幸せを願っている。私が声を荒げてダンナを非難したので、長女が「そう言いながら、私には子どもを堕胎しろと言った」と強く抗議した。長女は私を、言うこととやることが違う偽善者と言いたいのだ。私は偽善者かも知れないが、個人主義者なので人の命を粗末にする思想はない。言った、言わないではラチがあかないが、私の言葉で、長女は傷ついたことがあったということだ。

 いろんな家庭の形があり、それを非難することは出来ない。ダンナのお父さんが言うように、何も言わない方が波風は立たない。それでも「親の育て方が悪い」と言われては黙っていられない。ダンナも私を挑発したがっているのに、黙っているわけにはいかない。「父親は間違っていたが、熱い男だった」とふたりで笑って思い出すこともあるだろう。何を大事に生きてきたのか、そんなことを振り返る日もあるだろう。「やっぱり、偽善者だ」と思うかも知れないが‥。

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新築祝いと入学祝い

2016年04月16日 13時40分09秒 | Weblog

 長女夫婦が家を建てたのでその新築祝いと、6歳の孫娘が小学校に入学した祝いの会を今晩行うと長女夫婦が言う。私は自分の家を建てられなかったが、長女夫婦はかなり広い土地にダンナが希望した家を建てた。私の母はよく、「男は家を建ててこそ一人前」と言っていた。父も退職金で土地を買い、家を建てるつもりでいた。けれども兄貴が事業に失敗し、その穴埋めのために土地を手放した。

 私は材木屋の倉庫の一角を仕切った「我が家」から脱出することを夢見て、材木屋に置かれていた建築雑誌をいつも見ていた。見ているだけでは飽き足らなくて、小学校の高学年頃から高校まで、白紙のノートに家の設計図を描いていた。構造計算は出来ないが、ここは台所、ここに風呂場など、自分の夢の家を描いていた。大人になったらこんな家に住みたい。せっせと描き続けていつの間にかノートは何冊にもなった。

 高校の工芸の先生がそれを見て、「それはいいね。将来は設計士だな」と言ってくれたが、設計士になるためには数学で受験しなくてはならなかったので諦めた。デザインという部門があることを知った時はもう遅かった。娘の父親である私としては、自分が出来なかったことを子どもがやり遂げたから誇りに思う反面、ちょっと自分が情けない。カミさんは新築祝いをどうするか、ダンナのお母さんと相談している。

 私は「財産は自分で稼ぎなさい」と子どもたちに言ってきたし、我が家に与えられる財産がどれだけあるのか知らない。このマンションを買ったのもカミさんで、子どもたちが嫁入りできたものカミさんのおかげだ。カミさんは孫娘の入学祝いや、次女のところの娘が5月に2歳になるので、「何をお祝いしよう」と張り切っている。「高価なものでなくてもいいのでは‥」と私は言うが、耳には入っていないようだ。さて、これからお祝いに出かけよう。

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いろいろあって、いいと思う

2016年04月15日 16時50分18秒 | Weblog

 また、強い風が吹いている。熊本で震度7の大地震が起きた翌日なので、強風が不気味な感じがする。昨日はマンションの友だちにチューリップを見にきてもらったが、今日にしなくてよかった。この風ではルーフバルコニーに出られない。咲き終わりのチューリップが風に花弁をもぎ取られて可哀想だ。昨日は穏やかでチューリップを見てもらうにはちょうど良かった。

 お茶を飲み、お菓子をいただき、しばし贅沢な時間を過ごすことが出来た。みなさんにお好きなチューリップを持ち帰ってもらったが、その時、「これ、ちょっと変わっているわよ」と友だちが言う。見ると1本の茎が2本に分かれて花を咲かせていた。同じ土で、同じ時期に、同じ球根を植え付けたのに、大きな花になるものもあればこういう奇形なものもある。それが自然というものだろう。

 4月になって、各テレビ局は番組を新しくした。これは年寄りの感想だと思うけれど、面白い番組がなくなった。バラエティーのような番組は増えたけれど、それが私にはウルサイだけだ。政権批判をしていた番組は、「ウワサ」通りなくなった。テレビで流されていたCMが突然中止になったという。その商品を作っている会社に「抗議」が殺到し、会社は謝罪して放映を取りやめたというものらしい。

 いきさつは知らないが、個人的なことに批判が集中する傾向が強い。情報伝達が発達し、誰でも自分を隠して発信できる。するとヘイトスピーチのような差別言語がまかり通る。ひとりでは言えないが大勢なら平気になれる。誰でも、何を発言してもいいと思う。けれどもちゃんと顔を出してものを言うべきだ。これだけ大勢の人がいるだから、当然いろいろな意見があるべきだ。

 「これは奇形だ」と切り捨てないで欲しい。「これは自分とは意見が違う」と発言を封じ込めてはならない。テレビ局や新聞社がそれぞれに自分の主張を持つべきだ。支持するかしないかは受け取る私たちが判断する。受け取る側は発する側にいろいろ要望することだ。受け身から働きかける身になっていくことが健全で豊かな社会を創ると思う。

 明日は私の72回目の誕生日。よくここまで生きてきた。誕生日のメールを期待しているが、ムリかな?

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劇団・新感線の『薔薇とサムライ』

2016年04月14日 18時26分52秒 | Weblog

 どんなに努力しても全然飛べない。羽が折れているわけではない。助走をつけたら飛べるかも知れないと試してみるがやっぱりダメだ。青い空はあんなに広がっているのに、飛べないのはなぜなのだろう。つくづくと自分がイヤになった。怠けたことはあるが、決して努力しなかったわけではない。絶望的な気持ちになって、ふと気が付いた。なんだ、元々飛べない鳥ではないか。鳥には空を飛ぶものと、飛ばないものがいる。そのことを忘れて必死に飛ぼうとしていたのだ。理由が分かると全身の筋肉が柔らかくなった。

 その時、目が覚めた。夢だったのか。どうしてこんな夢を見たのだろう。でも、夢でよかった。自分の能力というか、自分が何者かも考えずに、望んだり求めたりしたのだろうか。昨夜、ミッドランドスクエアシネマで月に1度上映される劇団・新感線を観た。午後7時から始まり午後10時25分までの長丁場だが、観客を飽きさせることがなかった。出し物は『薔薇とサムライ』で、17世紀のスペイン半島の小国が舞台だった。

 ところが、ここにどういう訳か日本を追われた石川五右衛門がいて、悪い奴らをやっつけてしまうというマンガのような展開だ。海賊しか襲わない女海賊アンヌは実はこの国の王の娘で、この国の宰相は海賊を攻撃しない代わりに盗んだ品物の何割かを献上させる大悪人だ。最後は五右衛門の働きで女王を助けて悪人たちを懲らしめる。勧善懲悪だが、どんでん返しが続き、結局見入ってしまうのだ。

 観客は映画館では多い方だろう。しかも、ひとりで来ている若い女性が目立つ。男性は中年以上だが、やはりひとりで来ている。姪っ子の息子がやっている演劇も若い女性が多かったが、こちらは歌舞伎を現代風にアレンジしたものだったからか、人情とか愛情のズレとか、心打つものがあった。昨夜観た演劇映画はこれでもかと繰り返される活劇が中心の娯楽劇だ。

 石川五右衛門の「人はそれぞれ役割を持って生まれてきている」というセリフが印象に残った。朝方見た夢ではないが、人にはそれぞれの定めがある。無理することはない。そんな気がした。

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「世界でいちばん貧しい大統領」の講演

2016年04月13日 16時16分53秒 | Weblog

 「世界でいちばん貧しい大統領」と言われたウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカさんが東京外国語大学で講演した内容が、今日の中日新聞に載っていた。ムヒカさんのことは以前、テレビで見たことがある。給料の大半を貧しい人たちに寄付し、自ら畑を耕し、ポンコツの車に乗っていた。「私は決して貧しくない。質素を好むだけだ」と言う。

 ムヒカさんの若い頃の写真、それは独裁政権に対するゲリラ組織にいた時のものだが、「いかにも正義のために、人殺しも惜しまない怖い顔をしていた」と先輩が教えてくれた。そのムヒカさんは「力では世界は変わらない」と言う。ゲリラであった人が、「力ではない」と言うなら、一体何が世界を変えるのだろうか。

 「人間にはエゴイズムがある。これは自分を守るためで、自然が与えてくれたもの。他方で、人間は連帯や協調で、文明、文化、知識を築いてきた。教育によってエゴにブレーキをかけられる。連帯や協調は、社会を変える力になる」と言う。けれども、人間は神ではないので、ゆっくり諦めずに努力しなくては進まないのだ。

 政治に関心はないとか、政治は重要ではないとか、「政治を放棄することは少数者による支配を許すことにつながる」と指摘する。日本でもアメリカでも多くの先進国で、国民の大半が願っていることと違う方向へ政治は向かっている。戦争はダメと言う国民が大半なのに、自国を守ることが強調され、現実派の政治家を当選させているのはこの無関心のせいだ。

 「私たちはグローバル化した世界で生きている。お金のために働いている。お金で物を買っていると思っているが、実は自分の人生の一定の時間と引き換えているのだ。世界では1分間に200万ドルの軍事費が使われている。こうした世界を分析し、立ち止まり、自分と他の人の幸せを見つけて欲しい。人生で一番大事なものは愛だから」。

 ムヒカさんの演説を子ども向けに紹介した絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)を孫娘に贈りたい。

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1泊で花巡り

2016年04月12日 17時45分55秒 | Weblog

 誕生日会の皆さんと1泊で花巡りをしてきた。今年、喜寿を迎えられた2人の先輩の祝いを兼ねて、猿投温泉に出かけた。近頃、車を運転したくない私は、近くまで送迎バスが来ることを知って猿投温泉を提案したが、それは平日しか運行していなかった。仕方ない、車で行くかと思いながらホテルの人に、翌日に訪ねるとよいところを聞くと近くに桃畑があると教えてくれた。

 翌朝、ホテルでコーヒーをいただき、教えてもらった「桃源郷」へと出かけた。実は車2台で出かけたので、初日にコースを間違えたもう1台はこの桃畑を通ったと言う。駐車場は満杯でとても止められそうにない。仕方がないのでその次に教えてもらった「緑化センター」へ向かった。ヤマツツジやヒメリンドウが咲き、芝の広場もあり、とてもいいところだった。本館という建物も立派で池のつくりが面白かった。

 レストランはあったが営業している様子がなく、「お昼をどうしよう」と言うので、東谷山フルーツパークへ行くことにした。枝垂れ桜が満開でとても素敵なところらしい。なあーに、途中に喫茶店くらいあるだろうなどと軽く考えていたが、車2台で走っていると止まりやすい店は限られてしまう。とうとう瀬戸の品野まで行き、うどん屋さんを見つけて入った。もう少し行くと「道の駅・品野」があると教えられ、女性たちの希望もあって寄り道することにした。

 東谷山フルーツパークは凄い人出だった。一度は行ってみたいと思っていたが、とても素晴らしいところだった。枝垂れ桜のトンネルがあり、いろんな果樹が見られ、もう少しゆっくり出来たらと思うほどだった。たくさんの恋人たちがいて、桜の下で写真を撮っていた。満開の桜を背景に写真を撮りたいと思うのはどこの国の人も同じだ。猿投温泉の桜、桃畑、緑化センターのヤマツツジ、東谷山の枝垂れ桜、予期せぬ花巡りの1日だった。

 この日の夜は近くの居酒屋へ入り込み、最後の総仕上げを行った。2日間も一緒にいて、あんなに話したのに、まだ足りないのかよくしゃべった。こんな高齢になってもなお仲間がいることに感謝の一日だった。

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すれ違い

2016年04月11日 18時00分17秒 | Weblog

 昨日とは大違いで、また冬の戻ったように冷たい風が吹き荒れている。せっかく咲いたチューリップも強風に煽られ、花弁をもぎ取られてしまったものさえある。自然はむごいことをする。今日は大和塾の総会。7月3日の上野千鶴子さん、9月24日の姜尚中さんの市民講座について話し合った。この2回を成し遂げて解散するが、「もったいないから続けて欲しい」と言ってくれる人もいる。

 結論から言えば、大和塾は解散する。私たちが担ってきた役割は果たしたと思うからだ。講演の内容や講師の選択は、どうしても「自分」から離れることは出来ない。つまり、私たちの生きてきた時代が生んだものが、私たちの関心事なのだ。「若い人が集まらない」と言うが、この世代のズレはどうしようもない。若い人を集めたいというのであれば、やはり若い人が主体になる方がいいのだ。

 「最近、カミさんと話さなくなった」と言う。「どうして?」とたずねると、「どこへ行くの?何しに行くの?明日ではダメなの?と細かく聞く。初めは説明していたけれど、余りに何度も聞くのでイヤになった」と話す。「まだ、いいよ」と別の人が言う。「ここに入れておいたチラシをどこへやったと言うので、知らないよと答えると、あなたがどこかへやったのよ、どうして私がしまったものを勝手に捨てるのよと、いつも犯人扱いだ」と言う。

 夫婦円満のコツは、お互いに関心を持って何でも話すとあったが、その次はお互いに構い過ぎないとあった。全く逆のことが上位にあるのはどういうことなのだろう。こんなことをテーマに講演してもらっても、高齢者は切実な日常の問題だから、「なるほど」と耳を傾けるかも知れないが、若い人たちには「それは年寄りの問題でしかない」のかも知れない。今日も「もっと未来志向の話を」と話題になったが、若い人たちにとっての「未来」と私たちが思う「未来」には大きな差がある。

 「こんな他愛もない話を私たちだけでも続けていきましょう」ということで総会が終わった。

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