コメント
おひさしぶりです
(
ひらの
)
2012-10-05 11:04:25
岩国におられたので山口弁なのでしょうか。
広島の原爆では、私の母は16歳で爆心地から2,3キロのところで被爆しました。私は母に当時のことを聞いてみたことがありますが(「語り部」のかたがたの仕事をテレビで紹介していたからだと思います)母は「父親が岩国から(岩国に実家がありました)来れるところまで電車で来て、それからは歩いて迎えに来てくれた」「いろんなものを見たよ」と言ったきり、話してくれませんでした。
母が認知症になってしまった最近になって母の妹から聞いたのですが、母は看護学校の学生だったせいか、父親が迎えに行ったとき、原爆で亡くなった人々の遺体を焼いていたそうです。おそらく、きちんとした葬儀用の焼却場ではなく、野焼きのような光景だったのではないでしょうか・・・
私には話してくれない、話せない悲惨なものものを母は見たのでしょうね。
90代のこのかたは、わが身を病みながら語り部として尽くされて、ほんとうに勇気のある立派なかたですね。
山口県
(
みずえ
)
2012-10-05 12:40:23
ひらのさん
お久しぶりですね。
そうです。この方は、山口県生まれの方です。
>90代のこのかたは、わが身を病みながら語り部として尽くされて、ほんとうに勇気のある立派なかたですね。
そうですね。お話をしに行かれている事は知っていましたが、そういう事だったのかと今回始めて知りました。
又、続きを書きますので、ご覧になって下さいね。次は岩国のことが出て来ます。
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広島の原爆では、私の母は16歳で爆心地から2,3キロのところで被爆しました。私は母に当時のことを聞いてみたことがありますが(「語り部」のかたがたの仕事をテレビで紹介していたからだと思います)母は「父親が岩国から(岩国に実家がありました)来れるところまで電車で来て、それからは歩いて迎えに来てくれた」「いろんなものを見たよ」と言ったきり、話してくれませんでした。
母が認知症になってしまった最近になって母の妹から聞いたのですが、母は看護学校の学生だったせいか、父親が迎えに行ったとき、原爆で亡くなった人々の遺体を焼いていたそうです。おそらく、きちんとした葬儀用の焼却場ではなく、野焼きのような光景だったのではないでしょうか・・・
私には話してくれない、話せない悲惨なものものを母は見たのでしょうね。
90代のこのかたは、わが身を病みながら語り部として尽くされて、ほんとうに勇気のある立派なかたですね。
お久しぶりですね。
そうです。この方は、山口県生まれの方です。
>90代のこのかたは、わが身を病みながら語り部として尽くされて、ほんとうに勇気のある立派なかたですね。
そうですね。お話をしに行かれている事は知っていましたが、そういう事だったのかと今回始めて知りました。
又、続きを書きますので、ご覧になって下さいね。次は岩国のことが出て来ます。