博士が愛した数式はもちろんオイラーの等式。「eiπ+1=0」である。4人の関係は0に収まっている。
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*映画「博士の愛した数式」公式サイト http://hakase-movie.com/main.html
*博士の愛した数式(新潮文庫)小川洋子(オガワヨウコ)
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
「ぼくの記憶は80分しかもたない」博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていたー記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。第1回本屋大賞受賞。
*博士の愛した数式 算チャレ参戦記 村上綾一 2005年11月14日
記事全文 http://sansu.jugem.jp/?cid=8
1・ 記憶が80分しか持続しない天才数学者は、通いの家政婦の「私」と阪神タイガースファンの10歳の息子に、世界が驚きと喜びに満ちていることをたった1つの数式で示した…。頻出する高度な数学的事実の引用が、情緒あふれる物語のトーンを静かに引き締め整える。著者最高傑作の呼び声高い1冊。
「全国書店員が選んだ本屋大賞」の大賞受賞作品。読む前はさほど期待していなかったのだが、あっという間に引きこまれ、すぐに読み終えた。素晴らしい小説だ。平易な言葉でありながら、味わい深い純文学になっている。
読了後、算数の教師として強く反省させられた。はたして自分は、これほどの情愛で子どもに接してきただろうか。そして、算数の美しさを語ってきただろうか。初心に立ち返り、限られた時間を大切に生きたい。
この小説には、算数や数学に対する感性が強くなければ読み解けない箇所がある。そして、阪神ファンでなければ理解できない時代背景がある。もちろんそれらが分からなくても、この小説の素晴らしさは決して色褪せないのだが、皆さんがより深く理解できるように解説を記そうと思う。
2・ まず、なぜオイラーの公式を見て未亡人が引き下がったのか。
オイラーの公式は「人類の至宝」と言われている。その理由は後述するとして、先にオイラーについて述べたい。
オイラーは人類最高の数学者。その業績はとても語りつくせない。生涯に500以上の論文を発表したが、死後、さらに400以上の未発表論文が見つかった。平均すると、並の数学者が生涯で書き上げる論文の量を、1年弱で書き上げていたことになる。
数学や物理では、特に大学以降で、オイラーの名が付けられた公式・定理・数学用語が次々と出てくる。また、円周率π、虚数単位i、自然対数の底e、三角関数のsinやcosも、オイラーが定義したものである。特に自然対数の底eは、オイラー(Euler)の頭文字が由来となっている。
3・ オイラーは子どもが大好きで、夫人との間に13人をもうけた。赤ちゃんを膝に乗せ、子ども達と遊びながら数学の論文を書いていたと言われている。その様子を見たフランスの物理学者アラゴーは、「人間が呼吸するごとく、また鷲が空を舞い遊ぶごとく、見た目には何の苦労もなく計算していた」と記している。
59歳で失明したが、亡くなるまで研究はやめず、暗算で計算し続けた。76歳のとき、孫と遊びながら天王星の軌道計算をしていたが、突然パイプを落とし、「死ぬよ」と告げ、静かに息を引き取った。後世の人は、オイラーの死をこう表現している。「その瞬間、オイラーは生きることと計算することをやめたのだ」
再来年(2007年)はオイラー生誕300周年である。
4・ 「博士の愛した数式」では「eiπ+1=0」をオイラーの公式と表現しているが、厳密には違う。一般にオイラーの公式と呼ばれているものは、
この公式にθ=πを代入すると、「eiπ=-1」が得られる。さらに-1を移項することで、作品中に登場する「eiπ+1=0」となる。オイラーの公式とは区別し、オイラーの等式と呼ばれている。
オイラーの等式がなぜ美しいか。なぜ「人類の至宝」と呼ばれているか。その理由は感覚的に受け取るもので、文章に表すと陳腐になってしまうが、π、e、iという数学上まったく無関係にそれぞれ研究されてきた基本定数と、最小の自然数である1を組み合わせると0になってしまうところに美しさがある。しかも、極めて簡潔に表現されている。
5・ 円周率πは、無理数という何の規則性も持たず無限に続く小数である。自然対数の底eも無理数。自然数で表すことができない。そして虚数iは、かけ合わせると-1になる特殊な数である(i×i=-1)。中学や高校の数学では、これらの定数がバラバラの分野に存在する。オイラーが導き出すまで、数学界もそういう状態だった。これらの定数に関係性があるとは想像しえなかった。しかしオイラーによって、1つの式で表されたのである。これほど見事な数式は他にない。まさに「オイラーの贈り物」である。
さて、ここまでオイラーとその等式の神秘性を説明してきたが、これでようやく「なぜオイラーの公式を見て未亡人が引き下がったのか」が説明できる。
博士が数式で示したのは、今までまったく別の生活をしていた3人(博士と家政婦とルート)が、思いもかけず1つの状態に収束して生きているということ。未亡人はオイラーの等式に込められたこの意味を理解し、そしてそれが神から頂いた贈り物であると悟り、引き下がった。では、e、i、πはそれぞれ誰を表しているのだろうか。
6・ 176頁に次のような文がある。
果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0も抱き留められる。
物語の序盤は博士と家政婦の話だった。これが「果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する」を意味している。そして、「予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り…」は博士とルートの交流、「恥ずかしがり屋のiと握手をする」は、110頁の仲直りと考えられる。
つまり、「果ての果てまで循環する数(e)」は博士を、「正体を見せない虚ろな数(i)」は家政婦を、「予期せぬ宙から舞い下りてきた数(π)」はルートを表している。もちろん博士は、ここまで考えてオイラーの公式を記したわけではない。記憶障害でそれはできない。あくまでも純文学を読み解いているだけである。
そして、その3人が織り成す式に1が加わるのがポイントだ。本来、オイラーの式は「eiπ=-1」と表現される。しかしそれを「eiπ+1=0」と表現している。これには理由がある。
7・ オイラーの等式は、1を足すことで0に収まる。ここで、1の前に0について考えてみたい。
194頁~197頁で0が取り上げられている。0を「空っぽ」と表現する家政婦に対し、博士は「0は存在する」と言い直した。そして、0の素晴らしさ、美しさを説明した。つまり、0というのは、矛盾なく美しいものが存在している状態なのだと。この説明がなければ、オイラーの定理に込められている0の意味が台無しになってしまう。
なお、今までルートを放任してきた家政婦がこの章で突然心配性になるのは、筆者が0を語りたかったからだろう。「0は存在する」という話にもっていくためには、家政婦が0を「空っぽ」と表現することで対比させなければならない。そのため、やや強引に、この章限定で心配性なお母さんにしたのだと思う。邪推かな。でも、そうでなければあまりに唐突な心配症に感じる。
8・ さて、ここまでくれば1の説明は要らないと思う。1はもちろん義姉の未亡人を表している。「-1」ではダメなのだ。「+1」によってようやく0へとたどりつく。
ここで、次の疑問が起こる。博士はオイラーの等式に出てくる3つの定数に3人の状態を喩えたが、記憶障害を考慮すると、3人の状態をあれほど上手く表現するには無理があるはずだ。しかしそれを表現することができた。ということは、3人のこれまでの人生を知らなくても表現できる理由が存在する。
その理由、そして、なぜ未亡人がオイラーの公式に込められた意味を瞬時に理解できたかを考えることで、未亡人と博士と博士の兄の関係を推測することができる。
9・ 未亡人と博士と博士の兄もまた、オイラーの等式のような関係だったのではないだろうか。そして、博士は若い頃、その関係をオイラーの等式に喩えて話していたのだろう。だからこそ、未亡人はオイラーの公式に込められた意味をすぐに知ることができた。博士も、博士と家政婦とルートの3人の関係を、雰囲気だけで察することができた。それは、かつて経験したことのある雰囲気だったから。
ひょっとすると、博士が若い頃に喩えたオイラーの式は「eiπ=-1」だったのかもしれない。しかしこれを「eiπ+1=0」と変形したことで、未亡人は、博士の未亡人に対する変わらぬ思いを知ることができたのではないだろうか。いささか考えすぎかもしれないが。
10・ 以上の理由から、博士が愛した数式はもちろんオイラーの等式。「eiπ+1=0」である。4人の関係は0に収まっている。
なお、未亡人がなぜ家政婦を解雇したのか、あるいは、未亡人と博士は博士の兄が死んでから事故を起こすまでになぜ結婚しなかったのかという疑問に関しては、数学とは関係のない心情心理の部分である。一介の算数好きがくどくど説明するようなものではない。
暇な時間ができたら、阪神ファンの視点からも読み解いていこうと思う。おそらく大多数の人には、92年が舞台となっている意義が分からないだろう。しかし、ちゃんと理由があるのだ。そして、パーティーの夜が9月11日であることも、小説を理解する上で重要な要素になっている。
*1992年9月11日、優勝をかけての直接対決となった阪神対ヤクルト戦(甲子園)では日本プロ野球史上最長の6時間26分という試合時間を記録。
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*老子「道徳経と伊勢白山道」道経「 1章~37章」記事一覧
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1・ 記憶が80分しか持続しない天才数学者は、通いの家政婦の「私」と阪神タイガースファンの10歳の息子に、世界が驚きと喜びに満ちていることをたった1つの数式で示した…。頻出する高度な数学的事実の引用が、情緒あふれる物語のトーンを静かに引き締め整える。著者最高傑作の呼び声高い1冊。
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読了後、算数の教師として強く反省させられた。はたして自分は、これほどの情愛で子どもに接してきただろうか。そして、算数の美しさを語ってきただろうか。初心に立ち返り、限られた時間を大切に生きたい。
この小説には、算数や数学に対する感性が強くなければ読み解けない箇所がある。そして、阪神ファンでなければ理解できない時代背景がある。もちろんそれらが分からなくても、この小説の素晴らしさは決して色褪せないのだが、皆さんがより深く理解できるように解説を記そうと思う。
2・ まず、なぜオイラーの公式を見て未亡人が引き下がったのか。
オイラーの公式は「人類の至宝」と言われている。その理由は後述するとして、先にオイラーについて述べたい。
オイラーは人類最高の数学者。その業績はとても語りつくせない。生涯に500以上の論文を発表したが、死後、さらに400以上の未発表論文が見つかった。平均すると、並の数学者が生涯で書き上げる論文の量を、1年弱で書き上げていたことになる。
数学や物理では、特に大学以降で、オイラーの名が付けられた公式・定理・数学用語が次々と出てくる。また、円周率π、虚数単位i、自然対数の底e、三角関数のsinやcosも、オイラーが定義したものである。特に自然対数の底eは、オイラー(Euler)の頭文字が由来となっている。
3・ オイラーは子どもが大好きで、夫人との間に13人をもうけた。赤ちゃんを膝に乗せ、子ども達と遊びながら数学の論文を書いていたと言われている。その様子を見たフランスの物理学者アラゴーは、「人間が呼吸するごとく、また鷲が空を舞い遊ぶごとく、見た目には何の苦労もなく計算していた」と記している。
59歳で失明したが、亡くなるまで研究はやめず、暗算で計算し続けた。76歳のとき、孫と遊びながら天王星の軌道計算をしていたが、突然パイプを落とし、「死ぬよ」と告げ、静かに息を引き取った。後世の人は、オイラーの死をこう表現している。「その瞬間、オイラーは生きることと計算することをやめたのだ」
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4・ 「博士の愛した数式」では「eiπ+1=0」をオイラーの公式と表現しているが、厳密には違う。一般にオイラーの公式と呼ばれているものは、
この公式にθ=πを代入すると、「eiπ=-1」が得られる。さらに-1を移項することで、作品中に登場する「eiπ+1=0」となる。オイラーの公式とは区別し、オイラーの等式と呼ばれている。
オイラーの等式がなぜ美しいか。なぜ「人類の至宝」と呼ばれているか。その理由は感覚的に受け取るもので、文章に表すと陳腐になってしまうが、π、e、iという数学上まったく無関係にそれぞれ研究されてきた基本定数と、最小の自然数である1を組み合わせると0になってしまうところに美しさがある。しかも、極めて簡潔に表現されている。
5・ 円周率πは、無理数という何の規則性も持たず無限に続く小数である。自然対数の底eも無理数。自然数で表すことができない。そして虚数iは、かけ合わせると-1になる特殊な数である(i×i=-1)。中学や高校の数学では、これらの定数がバラバラの分野に存在する。オイラーが導き出すまで、数学界もそういう状態だった。これらの定数に関係性があるとは想像しえなかった。しかしオイラーによって、1つの式で表されたのである。これほど見事な数式は他にない。まさに「オイラーの贈り物」である。
さて、ここまでオイラーとその等式の神秘性を説明してきたが、これでようやく「なぜオイラーの公式を見て未亡人が引き下がったのか」が説明できる。
博士が数式で示したのは、今までまったく別の生活をしていた3人(博士と家政婦とルート)が、思いもかけず1つの状態に収束して生きているということ。未亡人はオイラーの等式に込められたこの意味を理解し、そしてそれが神から頂いた贈り物であると悟り、引き下がった。では、e、i、πはそれぞれ誰を表しているのだろうか。
6・ 176頁に次のような文がある。
果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0も抱き留められる。
物語の序盤は博士と家政婦の話だった。これが「果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する」を意味している。そして、「予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り…」は博士とルートの交流、「恥ずかしがり屋のiと握手をする」は、110頁の仲直りと考えられる。
つまり、「果ての果てまで循環する数(e)」は博士を、「正体を見せない虚ろな数(i)」は家政婦を、「予期せぬ宙から舞い下りてきた数(π)」はルートを表している。もちろん博士は、ここまで考えてオイラーの公式を記したわけではない。記憶障害でそれはできない。あくまでも純文学を読み解いているだけである。
そして、その3人が織り成す式に1が加わるのがポイントだ。本来、オイラーの式は「eiπ=-1」と表現される。しかしそれを「eiπ+1=0」と表現している。これには理由がある。
7・ オイラーの等式は、1を足すことで0に収まる。ここで、1の前に0について考えてみたい。
194頁~197頁で0が取り上げられている。0を「空っぽ」と表現する家政婦に対し、博士は「0は存在する」と言い直した。そして、0の素晴らしさ、美しさを説明した。つまり、0というのは、矛盾なく美しいものが存在している状態なのだと。この説明がなければ、オイラーの定理に込められている0の意味が台無しになってしまう。
なお、今までルートを放任してきた家政婦がこの章で突然心配性になるのは、筆者が0を語りたかったからだろう。「0は存在する」という話にもっていくためには、家政婦が0を「空っぽ」と表現することで対比させなければならない。そのため、やや強引に、この章限定で心配性なお母さんにしたのだと思う。邪推かな。でも、そうでなければあまりに唐突な心配症に感じる。
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ここで、次の疑問が起こる。博士はオイラーの等式に出てくる3つの定数に3人の状態を喩えたが、記憶障害を考慮すると、3人の状態をあれほど上手く表現するには無理があるはずだ。しかしそれを表現することができた。ということは、3人のこれまでの人生を知らなくても表現できる理由が存在する。
その理由、そして、なぜ未亡人がオイラーの公式に込められた意味を瞬時に理解できたかを考えることで、未亡人と博士と博士の兄の関係を推測することができる。
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ひょっとすると、博士が若い頃に喩えたオイラーの式は「eiπ=-1」だったのかもしれない。しかしこれを「eiπ+1=0」と変形したことで、未亡人は、博士の未亡人に対する変わらぬ思いを知ることができたのではないだろうか。いささか考えすぎかもしれないが。
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「1 は美しい」といろいろな情報を集めました。
オイラの物語りも、おひまなときに遊びにきてください。
しかも、
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩の順に日本古代史をこじつける無謀さにも呆れてください。