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【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

六波羅蜜寺

2024-12-23 | デジカメ紀行

六波羅蜜寺

西国三十三カ所第17番札所。空也上人が天暦5年(951)に開いた西光寺を、上人の没後、弟子の中信が六波羅蜜寺と改名。

当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片のように割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍し、念仏を唱えて病魔を鎮められたといいます。

現存する空也上人の祈願文によると、応和38月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営みました。これが当寺の起こりとされています。

11月29日訪れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

=浄心苑=

 

 

=平清盛の墓=

 

=本堂=

 

現本堂(重要文化財)は貞治2年(1363)の修営。

昭和44年(1969)開創一千年記念の解体修理により色鮮やかな往時の姿によみがえりました。

 

=大聖歓喜天=

 

 

特別公開の令和館へ

 

 

=空也上人立像=

(パンフレットより)

第60代醍醐天皇の皇子で、若くして五畿七道を巡り苦修練行、尾張国分寺で出家。

再び諸国を遍歴し、名山を訪ね、錬行を重ねると共に一切経をひもとき、教義の奥義を極め、天暦2年(948)叡山座主延勝より大乗戒を授かり光勝の称号を受けました。森羅万象に生命を感じ、南無阿弥陀仏を称え、今日ある事を喜び、歓喜躍踊しつつ念仏を唱えました。上人は常に市民の中にあって伝道に励んだので、人々は親しみを込めて「市の聖」と呼びました。

胸に金鼓を、右手に撞木を、左手に鹿の杖をつき、膝を露に草鞋をはき、空也上人が「南無阿弥陀仏」を唱えるとそ の一音一音(南・無・阿・弥・陀・仏)が六体の阿弥陀仏になったという伝説を彫刻化しています。

鎌倉時代前期作で、運慶の四男・康勝の作。

 

 

六波羅蜜寺を出て・・・

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

趣のある街並みを・・・

 

 

 

 

 

  

 

 

  

 

 

 

 

 

 

この辺りは、宮川町歴史的景観保全修景地区

 

 

 

 

=南座=

 

歌舞伎発祥の地に残る、元和年間(1615~1624年)に官許された、日本最古の歴史と伝統を持つ劇場。

平成8年(1996年)には登録有形文化財(建造物)に認定されました。

京都市東山区にある南座の顔見世興行は江戸時代から続く年末恒例の催しで、「まねき上げ」は出演する歌舞伎俳優の名前などが書かれた看板を飾り、大入りになるよう縁起を担ぎます。

南座の顔見世興行は12月1日から22日まで行われました。

 

説明文は公式サイトより


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