風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

昔ながらのお相撲さん・魁皇

2011-07-24 00:55:37 | スポーツ・芸能好き
 角界にとっては、八百長問題に続き、もう一つの危機的状況と言えるのではないでしょうか。大関・魁皇が引退を表明し、横綱・大関陣から日本人がいなくなってしまいました。日本の国技、あるいは伝統芸能と呼ぶ方が似つかわしい大相撲に、ウィンブルドン現象を見るのは、決して嬉しいことではありません。
 日本の大相撲は、ただ勝てば良いというものではないという意味で、スポーツではなく、もとより格闘技でもなく、むしろ様式美を尊ぶ伝統芸能と呼ぶべきものだと、これまでにも折に触れ、話してきました。柔道や剣道などの「~道」と同様、修練を積み、技能を身につけ、横綱まで登りつめると、立会いで逃げることなく正々堂々がっちりと受け止め、奇襲や奇策を弄することなく、たとえ相手の得意な形になってもものともせず、力の差を見せつけてなぎ倒すのを横綱相撲と呼んで尊ぶ一方、相撲で「小よく大を制す」と言い、柔道で「柔よく剛を制す」などと言うように、土俵際で大柄の相手を投げてかわす先代貴乃花(貴乃花のお父さん!)の粘り腰や、舞の海の小兵力士故の技ありの相撲にも手を叩いて喜ぶといった具合いに、日本人は、単なる勝ち負けではなく、勝ちっぷりや負けっぷりを話題にして来ました。ただの勝負事では考えられないことです。こんな瑣末なことに拘る民族が他にいるでしょうか。
 魁皇は、「花のロクサン組」と呼ばれる昭和63年春場所デビューの中では、曙、貴乃花、若乃花と横綱に登りつめる中で、遅咲きで、怪我に苦しみながら、若貴が去ってモンゴル勢が台頭する角界を、一大関として陰ながら支えて来ました。私自身は、正直なところ、贔屓の「小さな大横綱」千代の富士の通算勝ち星記録が追い抜かれるのが、内心穏やかではありません。そういう点では、横綱に限りなく近づきながらも残念ながら手が届かなかった、大関にとどまったからこそ却って横綱の引き際などという美学に縛られることなく、長く土俵に立ち続けることが出来たからこそ到達し得た記録とも言えますが、満身創痍の身体を治療しテーピングを施しながら、四股やすり足といった地道な基礎を繰り返すことで体を維持し、最近は大好きな深酒も控え、現役であり続けることに拘るのは、別の意味での偉業と言うべきです。2008年のモンゴル巡業では、時に声援が朝青龍や白鵬を凌ぐこともある、日本人で一番人気の力士と言われ、八百長問題で下された追放処分に不満を持った外国人力士らが本場所をボイコットする動きを見せた時に、魁皇は「力士が相撲を取らなくてどうする」と言って、温和な人柄や真摯に相撲に向き合う姿勢と相まって、危機的状況を収めたと言われ、気は優しくて力持ちといった「昔ながらのお相撲さん」風情(産経新聞)を惜しまないわけには行きません。長い間、ご苦労様でした。
 さて、これから大相撲はどこに向かうのでしょうか。

(追記 2011/07/24)
名古屋場所は、八百長問題からほぼ半年ぶりに正常開催となりましたが、大入りは僅かに千秋楽の1日だけで名古屋場所としては過去最低となり、観客動員数は15日間合計で7.8万人と野球賭博に揺れた昨年をさらに1.7万人下回り、懸賞は542本で例年の5割強にとどまったようです。団体客や企業客といった、不祥事のイメージを嫌う層が離れたもので、固定客はともかくとして、人気回復の道のりは険しそうです。
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