前回は檀家制度を中心に、歴史的に日本人と仏教との関わりを振り返ってみた。ある種の強制力をもち、無理してきたような文化・習慣は、より自由な社会にあっては続かない、ということだろうと思う。今回は、仏教本来の意味と、その変容(すなわち儒教化された仏教)について、ちょっと補足的に振り返ってみたい。
そもそもインド仏教(原始仏教)は、キリスト教やイスラム教と同様、現世を超越する契機としての「死」に価値の重きを置く思想である。現世の中で生・老・病・死の「四苦」は人間の宿命であり、シャカは、この世に生まれて生きること自体を苦しみとし、この世を苦しみの世界と捉えた。仏教では、「四苦」を繰り返す「輪廻」のサイクルから抜け出たとき、人間は本当の幸せになれると考える。つまり、仏教は「悟り」を得て「解脱」し「成仏」することを理想とするもので、仏教におけるさまざまな修行は、「輪廻」から抜け出ることを目的としたものである。そうではない、つまり「悟り」を得て「輪廻」のサイクルを脱け出ない限り、人間は再びどこかの世界に生まれ変わることになる。仏教では、死後は「中有(ちゅうう)」という時間に入ると考え、その長さは49日とされ、その間に、次に生まれ変わる場所が決められるため、そこで少しでもよい所に生まれ変われるように、僧を通じて供養するわけだ。それではどこに生まれ変わるかと言うと、「天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界」という6つの候補となる世界があり、いずれの世界に生まれ変わるにせよ、自分が所属する世界での死を迎え、再び生→死を繰り返すのである。「解脱」して「仏」とならない限り、すなわち「成仏」しない限り、いつまでも「輪廻」のサイクルを抜け出ることは出来ず、「輪廻」のサイクル内にとどまる限り、苦しみの生活が続く。従い、そもそものインド仏教にあっては先祖供養そのものは意味をなさない。さらに本人は別の存在として新たな肉体を持って生まれ変わる限り、もとの肉体は単なる抜け殻となり、抜け殻である死体や骨には何の意味もなく、墓も不要で、山や川に捨てても構わないことになる。
日本の仏教で、先祖供養や位牌や墓参りやお盆といった習慣が当たり前なのは、儒教をはじめとする様々な要素が結びついた結果だと言われる。ある研究者によれば、日本の仏教の8割はインド仏教とは無関係な先祖供養、1割が心の救済を求めてのインド仏教、1割が現世利益を求めての道教の要素から成り立っていると言う。その8割に影響を与えたのが、中国の儒教である。
儒教は、「未知生、焉知死」(未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らん)という孔子の言葉にあるように、もともと「生」に価値の重きを置く思想であり、先祖霊崇拝・先祖霊信仰というシャーマニズムを基礎にして、家族理論と政治理論を積み上げて成立した広大な思想体系である。儒教は単なる倫理道徳ではなく、底辺に「先祖崇拝」という宗教的要素を持った宗教なのである。先祖霊への崇拝を土台とする儒教は、外来のインド仏教と鋭く対立し、仏・儒の抗争の中で、仏教側が譲歩し、輪廻思想とは全く無関係な先祖霊崇拝・先祖霊信仰を取り入れるようになったという。こうして中国仏教、いわば儒教化した仏教が成立し、それが後に日本にも伝来した。古代の日本には、こうした中国と共通するシャーマニズム的土壌があったため、中国から伝来した仏教は、日本古来の先祖霊崇拝と無理なく融合することができたと言われる。日本における仏教は、初めから先祖霊崇拝や供養・喪礼を強く前面に出したものであり、我が国における宗教の中心的立場を確立していくことになる。
その儒教では、先祖代々の霊はいつまでも存在し、墓と位牌を通路として呼び出すことができ、子孫である家長はその墓と位牌の管理者の役割を代々努めるのであり、逆に家長とは墓と位牌の管理者のことである。ところが本来のインド仏教に、墓石(墓標)を立てることや墓参りはない。日本の家庭に見られる仏壇は、仏教本来のものではなく、儒教における祠堂(しどう)がミニチュアとして取り入れられたものだという。また仏壇や寺に安置される位牌も、仏教本来のものではなく、儒教の招魂儀式で呼び寄せた祖先の霊を憑かせる「神主(しんしゅ)(依代(よりしろ))」を模倣したものだという。こうして日本の仏教には中国の儒教的要素(東北アジアのシャーマニズム的要素)が強く反映し、日本の仏教はインド仏教が儒教と深く混交したもとというわけである。
いろいろググってみた結果を縷々述べてみたが、確かに古代の日本には中国と共通するシャーマニズム的土壌があったと思われるが、日本にあっては、中国や韓国に見られるような、恨みのある一族の墓を暴くといったような極端には至らない、その意味で、日本にあっては、先祖霊崇拝はもっと清らかですっきりしたものであり、中国や韓国の儒教世界とは異質なものと言わざるを得ないように思うのである。そして、「お坊さん便」をやや冷めた目で眺めながら、徳川時代が遠ざかるにつれ、あるいは一種の封建的な軛を離れて、仏教的なものや儒教的なものが薄れて、日本古来の神道的な世界へと回帰しつつあるように思うのであるが、どうだろうか。
それでは神道的な世界とは何かについては、稿を改めたい。
そもそもインド仏教(原始仏教)は、キリスト教やイスラム教と同様、現世を超越する契機としての「死」に価値の重きを置く思想である。現世の中で生・老・病・死の「四苦」は人間の宿命であり、シャカは、この世に生まれて生きること自体を苦しみとし、この世を苦しみの世界と捉えた。仏教では、「四苦」を繰り返す「輪廻」のサイクルから抜け出たとき、人間は本当の幸せになれると考える。つまり、仏教は「悟り」を得て「解脱」し「成仏」することを理想とするもので、仏教におけるさまざまな修行は、「輪廻」から抜け出ることを目的としたものである。そうではない、つまり「悟り」を得て「輪廻」のサイクルを脱け出ない限り、人間は再びどこかの世界に生まれ変わることになる。仏教では、死後は「中有(ちゅうう)」という時間に入ると考え、その長さは49日とされ、その間に、次に生まれ変わる場所が決められるため、そこで少しでもよい所に生まれ変われるように、僧を通じて供養するわけだ。それではどこに生まれ変わるかと言うと、「天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界」という6つの候補となる世界があり、いずれの世界に生まれ変わるにせよ、自分が所属する世界での死を迎え、再び生→死を繰り返すのである。「解脱」して「仏」とならない限り、すなわち「成仏」しない限り、いつまでも「輪廻」のサイクルを抜け出ることは出来ず、「輪廻」のサイクル内にとどまる限り、苦しみの生活が続く。従い、そもそものインド仏教にあっては先祖供養そのものは意味をなさない。さらに本人は別の存在として新たな肉体を持って生まれ変わる限り、もとの肉体は単なる抜け殻となり、抜け殻である死体や骨には何の意味もなく、墓も不要で、山や川に捨てても構わないことになる。
日本の仏教で、先祖供養や位牌や墓参りやお盆といった習慣が当たり前なのは、儒教をはじめとする様々な要素が結びついた結果だと言われる。ある研究者によれば、日本の仏教の8割はインド仏教とは無関係な先祖供養、1割が心の救済を求めてのインド仏教、1割が現世利益を求めての道教の要素から成り立っていると言う。その8割に影響を与えたのが、中国の儒教である。
儒教は、「未知生、焉知死」(未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らん)という孔子の言葉にあるように、もともと「生」に価値の重きを置く思想であり、先祖霊崇拝・先祖霊信仰というシャーマニズムを基礎にして、家族理論と政治理論を積み上げて成立した広大な思想体系である。儒教は単なる倫理道徳ではなく、底辺に「先祖崇拝」という宗教的要素を持った宗教なのである。先祖霊への崇拝を土台とする儒教は、外来のインド仏教と鋭く対立し、仏・儒の抗争の中で、仏教側が譲歩し、輪廻思想とは全く無関係な先祖霊崇拝・先祖霊信仰を取り入れるようになったという。こうして中国仏教、いわば儒教化した仏教が成立し、それが後に日本にも伝来した。古代の日本には、こうした中国と共通するシャーマニズム的土壌があったため、中国から伝来した仏教は、日本古来の先祖霊崇拝と無理なく融合することができたと言われる。日本における仏教は、初めから先祖霊崇拝や供養・喪礼を強く前面に出したものであり、我が国における宗教の中心的立場を確立していくことになる。
その儒教では、先祖代々の霊はいつまでも存在し、墓と位牌を通路として呼び出すことができ、子孫である家長はその墓と位牌の管理者の役割を代々努めるのであり、逆に家長とは墓と位牌の管理者のことである。ところが本来のインド仏教に、墓石(墓標)を立てることや墓参りはない。日本の家庭に見られる仏壇は、仏教本来のものではなく、儒教における祠堂(しどう)がミニチュアとして取り入れられたものだという。また仏壇や寺に安置される位牌も、仏教本来のものではなく、儒教の招魂儀式で呼び寄せた祖先の霊を憑かせる「神主(しんしゅ)(依代(よりしろ))」を模倣したものだという。こうして日本の仏教には中国の儒教的要素(東北アジアのシャーマニズム的要素)が強く反映し、日本の仏教はインド仏教が儒教と深く混交したもとというわけである。
いろいろググってみた結果を縷々述べてみたが、確かに古代の日本には中国と共通するシャーマニズム的土壌があったと思われるが、日本にあっては、中国や韓国に見られるような、恨みのある一族の墓を暴くといったような極端には至らない、その意味で、日本にあっては、先祖霊崇拝はもっと清らかですっきりしたものであり、中国や韓国の儒教世界とは異質なものと言わざるを得ないように思うのである。そして、「お坊さん便」をやや冷めた目で眺めながら、徳川時代が遠ざかるにつれ、あるいは一種の封建的な軛を離れて、仏教的なものや儒教的なものが薄れて、日本古来の神道的な世界へと回帰しつつあるように思うのであるが、どうだろうか。
それでは神道的な世界とは何かについては、稿を改めたい。
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