風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

恥の文化

2011-07-09 09:56:12 | 時事放談
 昨日の衆院本会議で、「恥の文化」を巡る応酬があったそうです。読売新聞によると、公明党の佐藤茂樹議員が、「菊と刀」で日本文化を「恥の文化」と分析したことを引きながら、「失政に次ぐ失政を重ねながら居座り続ける、恥知らずな史上最低の首相と烙印を押される前に身を処すべきだ」と首相に早期退陣を迫ったのに対し、菅首相は、「福島第一原発の事故は、長年与党だった公明党の皆さんにも責任の一端はある。全ての失政を押しつけ、責任を免れようとすることこそ、恥の文化に反する」と、声を張り上げて逆襲したというのです。
 ご存じ「菊と刀」は、米国の文化人類学者ルース・ベネディクト女史の代表作で、欧米の文化が、宗教に基づく内的な良心を意識する「罪の文化」であるのと対比して、日本の文化は、外的な批判を意識する「恥の文化」だと定義しました。戦時中の調査研究をもとに1946年に出版され、対日占領政策に大きな影響を与えたと言われています。実は彼女自身は日本を訪問したことがなく、教え子たちにはこの本を読まないようにと勧めなかったそうで、その真意を測りかねますが(倫理的に欧米の文化が優れていると主張したことを「恥」じているのではないかと、私は想像していますが)、彼女が想定した読者は、アメリカの教養ある非専門家、たとえば大統領をはじめ、政・官・財界の有力者や軍幹部、知識人を含み、こうしたアメリカ人の、本来なら戦勝して優越感をもつ対象であるはずの日本人に対する理解を促進し、より身近な存在に感じさせ、占領政策を日米双方にとって敵対的なものとはせず成功に導いた点を評価する声があります。
 しかし、先の公明党・佐藤氏と菅総理の応酬は、相手を貶めるばかりで、それこそ「恥」知らずですね。本来なら相手のことばかり責めたてるのは「恥」ずかしくて出来ないことなのに。
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節電の夏到来

2011-07-05 00:26:29 | 日々の生活
 7月1日から、節電が義務化され、多少不安の夏本番を迎えました。
 一部の自動車メーカーや保険会社では週末勤務が始まり、早速、どんな様子か、TVニュースがインタビューを交えて報道していました。それによると、共働きで子供を預けなければならないとか、家族と一緒に過ごす時間が減ると、こぼしながら、かかるご時世で、期間限定であることから、覚悟を決めているように見える一方、初めての週末勤務で、営業職の人にも戸惑いがあったのか、いつもなら早朝から飛び出したり直出したりするところ、朝、ゆっくりスタートして、じっくり打ち合わせが出来て有意義だったと評価する意見が事務方からあがったり、なかなか週日会えないお客様と、公式の出勤日のもとで堂々とお会いできることをポジティブに評価する声も営業職からあがって、意外に好意的に受け止められているようでした。
 とりわけ印象に残ったのが、通勤電車が混まないので、朝の始業時にいつもより元気だとコメントした人の明るく溌剌とした笑顔でした。確かに、汗だくで乗り込んだ電車が混んでいて、一時間前後立ちっ放しで、会社に到着する頃にはへとへとになり、オフィスの一日の始まりの時点で、一日のエネルギーの大半を既に費やしたかのような脱力感を覚えるのは、虚弱な私だけではなかったようです。日本の通勤環境は、オフィスでの生産性に相当のハンディを背負わせていると言わざるを得ません。
 その点からも、電鉄各社が、この節電モードの中で、電車内の冷房をいつも通りの温度設定にすると発表したのは、朗報でした。それだけ、通勤が過酷であることが共有されているという証左でもありますが、くれぐれも節電ファッショにならないように。
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プリンセス・トヨトミ

2011-07-03 15:16:32 | たまに文学・歴史・芸術も
 5月28日から公開されている映画の原作を読みました。最近は映画をほとんど見なくなった私が、「東京島」といい、本作といい、原作を読むのは、ひとえに、出張の機内で読んで、現地駐在員に進呈するのにちょうどよい軽さだと思うからに他なりません。しかし、この本は文庫で500頁を越える厚さで、北京や上海が予想以上に近かったために、情けないことに読み切れずにわざわざ持ち帰って読むハメになりました。
 映画化されたキャッチコピーは「大阪全停止。その鍵を握るのは、トヨトミの末裔だった。」
 その設定の奇抜さが命とも言える作品です。著者自身のふるさとであり、著者自身も語っているように、所謂「吉本」が築き上げたイメージに乗らないように、マスコミやテレビのバラエティで強調されている大阪色に染まらないように(文藝春秋のインタビュー)、描くことにはそこそこ成功しており、実はその媚びない抑制した姿勢こそが設定の奇抜さを支えるベースとしての雰囲気を醸し出し、その肩の力の抜け加減に好感が持てます。
 大阪にもいろいろあって、大阪の下町育ちで、こってり系の根っからの大阪人もいれば、私のように九州で生まれながらモノゴコロつく頃から大阪にいて、大阪近郊のベッドタウン、いわば周辺で巨人ファンを標榜しながら吉本の息遣いを感じて育つというような、あっさり系の大阪人が多いのもまた現実です。それは東京も同じことでしょう。いずれにしても、人々は移ろい行くけれども、その人々の思いが長年にわたって雨水とともに染み込んで形作る土地柄、その土地から汲めども尽きぬ湧き水のように湧き上がる精神のようなものがあり、その中心地に近づくほどに根強いパワーがあります。
 大阪の土地柄は、本書でも述べられている通り、江戸時代、天領でありながら武士が1%にも満たなかった町人の町としての面目です。おかみの権力をものともせず、天皇さんと呼んで権威にもなれなれしい、日本では珍しいくらい東南アジア的な喧騒に充ち満ちた、アクの強い町。高校・大学と、JR京都線や阪急電鉄京都線を通学に使っていた私にとって、就職して初めて使った東急東横線やJR山手線のホームで整然と列をなして順番を待つお行儀の良さは驚嘆に値しました。
 この作品は、そんな大阪という土地柄の深層心理をモチーフにしています。受け継がれるものの不思議、時に受け継ぐことの馬鹿馬鹿しさ、その精神が衰えているのではないかという危惧、そのパワーを信じたい思いが、奇想天外なストーリーの中にそこはかとなく感じられます。それぞれの登場人物の名前に歴史上の人物を連想させ、辰野金吾という建築家にまつわるウンチクを語らせて、伏線となし、大マジメにふざけながら、うまくその境界を泳いで、エンターテインメント小説に仕立てています。ちょっと冗長過ぎるところで、★一つ減。
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中国落穂拾い(3)リスク

2011-07-02 13:46:54 | 永遠の旅人
 昨日の日経一面に、フォックスコン・ブランドで知られる台湾系EMSの最大手・鴻海精密工業(Hon Hai Precision Industry)が、液晶パネル工場をブラジルに建設することを明らかにしたという記事が出ていました。
 その記事によると、米・アップルiPadを部品から一貫生産する模様で、ブラジルへの総投資額は5年で120億ドル(約1兆円)に及ぶと言いますから半端じゃありません。もっともこの会社は、なんと(いつの間にか)90万人を越える中国人従業員を抱える中国最大の輸出企業です。昨年だったか、従業員の自殺が増えたことで注目され、ストライキに見舞われ、従業員の給与レベルを大幅に引き上げることを余儀なくされたことが噂されましたが、その噂はまんざらウソではなかったのかも知れません。あるいは中国政府に対する牽制か(戦略オプションをもつのは強いということでしょうか)。一応、中国偏重の生産体制を見直す、新興国市場開拓を加速する、と言っていますが、中国からの対米輸出は米中経済摩擦の影響が及びかねないリスクを避けるためと、その記事では解説されていましたが、いつまで経ってもカントリー・リスクの影がつきまとうのが、中国という国の姿です。
 十年くらい前、中国については、China plus Oneという言い方でリスク・マネジメントが語られました。中国のカントリー・リスクは今さら言うまでもなく、それこそ突然の停電や水不足といったインフラが安定しない極めて原始的なリスクから、人材(特に技術者)の採用難、人民元切り上げや賃金上昇などのコスト圧迫要因、反日抗議行動、格差拡大による社会的な不安定などがよく知られるところですが、法治国ではなく人治国と言われるような、腐敗・汚職問題や、恣意的な法制度の運用、不透明・不統一な政策運営、更に、伝統的に代金回収もままならない、また技術・ノウハウの流出や模倣の氾濫や品質管理の難しさとなるとモラルの問題にも行きつく(一概に悪いと決めつけるつもりはなく、要は日本や欧米とは異質であるということ)など、私は直接事業に携わったことがないので周囲からの伝聞でしかありませんが、挙げだすとキリがありません。
 例えば、小さい話ですが、先日、北京で泊まったホテルは、空港から中心街に向かう途中にあって、交通だけではなく、日本人駐在員の居住区に近くて行動を共にしやすい(何かあった時にすぐ駆けつけられる)という面でも便利な一角にあるため、日本からの来訪者の定宿になっているようなのですが、その傍に日本大使館が引っ越してくることになり、駐在員の間ではこの定宿指定の変更を検討すべきではないかといった話が出ています。小さい話です。しかし日本大使館が近いということは、反日デモが予想され、治安が心配だというのは、決して杞憂とは言い切れません。
 そこで、ベトナム、タイ、インドネシア、マレーシアなどの東南アジア諸国を、中国に置き換えるのは簡単ではないにしても、投資の分散地とし、中国で何か問題があった時のリスク分散・低減を図るのがChina plus Oneの発想です。そしてあの鴻海が、今回、ブラジルを選んだということは、地理的に近いせいもあって東南アジアが脚光を浴びてきたこれまでの投資環境(ひいては投資の心理)に投じた一石の波紋は小さくないと思うわけです。中国の影響力が直ちに下がるとは思えませんが、それでも10年のスパンで見れば、公式統計に従えば一人っ子政策の影響で人口ひいてはGDPも頭打ちになるのではないかと予想するエコノミストは少なくありません。社会としても少数民族や所得格差の問題を抱えて、国としてのまとまりを維持できるのか、あるいは以前書いたように、国だと思うこと自体が間違いなのか。そもそもリスクがない世の中はなく、それがたまたま中国にまつわるだけなのですが、余りに大きく、余りに異質であるが故に、世界中の苦労が絶えない・・・わけです。
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