コメント
 
 
 
写真と地図から海が前に迫り山も近くて風光明媚ですが…! (yukariko)
2008-10-22 23:44:47
貴族の別荘を建てるのなら風光明媚な上、狩や漁をして楽しむのにいい場所でしょうが、新都を建設する候補地としては狭すぎるし、はじめから無理だったのでは?

清盛の憤激と思いつきに多くの貴族が迎合して、鳥が飛び立つように京の都を捨てて、大慌てで福原に来て見たものの、実際の調査をしてみたら、実行するには難しい問題が持ち上がって…結局うやむやになった…という事なのでしょうね。

清盛の意向に振り回されても文句も言えず、仰せのままに動くより方策がなかった貴族に同情しますね。
 
 
 
神戸・明石・淡路島周辺もしばしば訪ねておられるので、地形や風景もよくご存知ですね! (sakura)
2008-10-23 12:09:02
清盛は平氏の血を引く安徳天皇の内裏を、何かとあった京都を離れ
「人心一新」の意味でも新しい土地に建設したかったようです。

安徳天皇が僅か3歳で即位しましたが、清盛は即位はもう少し先と予測していたようです。

しかし鹿ケ谷事件以来しばらくおとなしくしていた後白河が何かと清盛に挑発、
一方高倉天皇の健康が深刻なものとなり、慌てて高倉天皇を譲位させ、
4月に安徳天皇の即位の儀、また即位後すぐに以仁王の挙兵や
寺社勢力・以仁王背後の八条院勢力の存在等清盛に遷都を急がせるものがありました。
遷都の準備不足はこんな事情だったようです。

また福原は、陰陽道で土を守り掌る神がいるとされる時期で土を掘ったり動かしたりすべきでない、避けないといけない地でした。
反対派も多く陰陽師の阿倍泰親をよんで意見を聞くと、
公的な建設でなく清盛が私的に建設し、これを借りて皇居に用いるならばいいということで妥協案が提示されこれに従ったようです。
この時も高倉上皇は清盛と遷都反対派の板ばさみになって苦しんだようです。

 
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