コメント
 
 
 
緒方三郎惟栄 (揚羽蝶)
2017-02-12 18:41:28
 緒方三郎惟栄は、最初、重盛公の家人であったが平家の勢いが弱まってきたとみると源氏に寝返った。
また、宇佐宮を焼き討ちしたのはいただけないです。
義経の味方であったが大物浦で大風のため船団は壊滅し捕らえられ、あえなくその姿を歴史上から消してしまったのですね。盛者必衰の理をあらはす。ですね。
 
 
 
Re: 緒方三郎惟栄 (sakura)
2017-02-13 17:18:56
宇佐八幡宮を焼いたのがたたったのでしょうか、
惟栄は不本意な晩年を送ることになりましたね。
時間がなくて行けませんでしたが、緒方町柚木に鎮座する
小松社(緒方駅から5300㍍)は、「豊後国誌」には、平重盛を祀る社と書かれています。

 
 
 
中央の争いとは別に地方にも勢力争いがあったでしょう。 (yukariko)
2017-02-18 17:21:35
中央での平氏、源氏の力関係がその時々で変わる以外に地方も国司や地域の豪族の傘下に入る事で以前は平氏だったのが次の戦の時は源氏に変わったりするのでしょうね。お互いの利害関係もその力関係でころころ変わる。
源氏と平氏のようにはっきりした敵対関係ならよいけれど頼朝と義経のように派閥争いにしか見えない時は院宣など宮廷の力も働き、中央の権力に詳しくない地方武士は翻弄されてしまいますね。
緒方三郎惟栄はずっと先を読んで動いたはずなのに、いつのまにか翻弄されて悲惨な最期を遂げたのですね。
 
 
 
頼朝と後白河院 (sakura)
2017-02-20 17:12:01
源平合戦の時代、武士たちはそれぞれの利害関係で、
源平どちらにつくか自分の責任と判断で決めていました。

反平氏の台頭を読み取り、清盛が亡くなったその月に
早くも平氏に背き、九州における平家追い落としに
大活躍した惟栄は鎌倉殿の御家人に迎えられたはずなのですが…

宇佐宮の焼き討ち、さらに義経の先導役を引き受け、
ここで没落の運命を決定的にしました。

義経は都落ちの際、惟栄の武力に期待して後白河院に頼み込み、
惟栄は院の命で義経の供をし、自領に受け入れることにしたのですが…

この時、惟栄の胸に去来したものは何だったのでしょう。
鎌倉幕府の一御家人となるより、義経を迎えてトップに据え、
頼朝に対抗する勢力になろうとしたのか?などと
勝手な想像しながら楽しんでいます。
 
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