コメント
平氏隆盛の基礎を築いた忠盛とは凄い人だったのですね。
(
yukariko
)
2018-09-18 22:08:25
武士として大勢の郎党を使いこなし、日宋貿易や受領の富を集めて宮廷、院や近臣に取り入りながらも、侮られず着々と一族の栄達も計ってゆくのはとても大変な仕事だと思うのですが、それが出来た凄い人だと思います。
若い時はともかく、ある程度の年齢、身分になれば自分が動くのではなく、家人に命じてあれこれをさせるのでしょうから、要所要所に有能な家人が育っていなければ指令通りにはいかないですね。
清盛ばかり取り上げられますが、その父親の、一族の将来を考えての万全の布石、それが平氏の隆盛をもたらしたのでしょう?
凄い人でしたね
(
sakura
)
2018-09-19 10:54:57
平氏は桓武天皇の末裔でしたが、忠盛の時代には本拠地を伊勢に移し、
武士として受領階級にあまんじていました。
平氏は代々殿上人にはなれませんでしたが、忠盛の代になって初めて
内裏の昇殿を許され、殿上人に取り立てられました。
しかし、忠盛への周囲の反発は大きく、殿上人たちはそれを不快に思い、
この年の五節(ごせち)の豊明節会(とよのあかりのせちえ)の際、
忠盛を闇討ちにしようと計画しましたが、忠盛はその危ない場面を
機転によって見事にくぐり抜けました。その忠盛によって
平家はつくりあげられたと「平家物語」は(巻1・殿上の闇討)で語っています。
苦労しながらも、貴族社会の中で古くから続く身分秩序を
政界遊泳術で切り抜けていったのですね。
「平家物語」は清盛を悪行の因果として滅びたとしていますが、
「愚管抄」によると、清盛もあちらこちらに気を配り、
難しい人間関係を調停できる熟慮と力量の持ち主でもあったと伝えています。
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若い時はともかく、ある程度の年齢、身分になれば自分が動くのではなく、家人に命じてあれこれをさせるのでしょうから、要所要所に有能な家人が育っていなければ指令通りにはいかないですね。
清盛ばかり取り上げられますが、その父親の、一族の将来を考えての万全の布石、それが平氏の隆盛をもたらしたのでしょう?
武士として受領階級にあまんじていました。
平氏は代々殿上人にはなれませんでしたが、忠盛の代になって初めて
内裏の昇殿を許され、殿上人に取り立てられました。
しかし、忠盛への周囲の反発は大きく、殿上人たちはそれを不快に思い、
この年の五節(ごせち)の豊明節会(とよのあかりのせちえ)の際、
忠盛を闇討ちにしようと計画しましたが、忠盛はその危ない場面を
機転によって見事にくぐり抜けました。その忠盛によって
平家はつくりあげられたと「平家物語」は(巻1・殿上の闇討)で語っています。
苦労しながらも、貴族社会の中で古くから続く身分秩序を
政界遊泳術で切り抜けていったのですね。
「平家物語」は清盛を悪行の因果として滅びたとしていますが、
「愚管抄」によると、清盛もあちらこちらに気を配り、
難しい人間関係を調停できる熟慮と力量の持ち主でもあったと伝えています。