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平家一門と厳島神社の深い関係は習いましたが… (yukariko)
2014-06-26 23:30:38
その前に忠盛、清盛父子の長年にわたる高野山の大塔修復事業や壇上伽藍再建など、命令は鳥羽院から出たにせよ、平氏とその一族の財力でなければ大がかりな長年の多岐にわたる高野山の再興事業はとてもなしえなかった事だと思います。

逆に、長年この事業に携わることによって、平氏一門にとっても高野山は特別な気持ちの拠り所となっていったでしょうね。
 
 
 
安芸守の収入 (sakura)
2014-06-28 10:25:44
大塔再建は安芸の財力を注いで再建したと平家物語には記されています。
平家一門の氏神として一門の信仰の対象となったのが厳島神社です。
厳島再建の経緯について平家物語は高野山の大塔修理と結びつけています。
清盛が二十年近くかかり、莫大な私財を投入して修復した厳島の最高峰の弥山には、
弘法大師に関する多くの伝承が残っていますが、
実際には大師は厳島を訪ねていません。

これが回答になるのかどうか分かりませんが…
都落ちの際、肥後守貞能が主君重盛の骨を高野山に送り、
重衡の遺骸は妻に返され、やはり骨は高野山に送られたことは、
前回のコメント欄に記させていただきました。
高野山には高野山の信仰を説いて、諸国に出向く高野聖とよばれる僧がいました。
維盛が高野山に訪ねた斎藤滝口時頼、西行法師、 東大寺大勧進職として、
東大寺の復興を果たした重源もこういった念仏の聖でした。
平家物語の大塔建立の記事は、清盛が厳島に着眼した後、
高野聖が多少意図的に広めた伝承をもとに書かれたとも考えられています。

 
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