コメント
 
 
 
この時代の人は変節も平気ですね。 (yukariko)
2012-05-29 22:07:15
今の世と違って情報が西国、東国まで伝わるのは時間がかかると思うのですが、各地の武士達は素早く風に稲穂がなびくように平氏、源氏と旗色を変えますね。
この時代は変節は悪ではなかったのでしょうか?
自分の欲に正直と言えるのでしょうが、なんだか鼻白みます。
でも大河ドラマはやはり凄いです。
平安末期や鎌倉時代の歴史など全く興味のなかった息子が保元の乱の清盛と義朝の話を真顔でしていますから(笑)
ナレータが頼朝らしいのですが、私は彼が嫌いでドラマをたまにしか見ていないのですが…(笑)
 
 
 
悪ではなかったと思います (sakura)
2012-05-30 16:16:38
息子さんもご覧になっているという大河ドラマでは、丁度保元の乱の火蓋が切って落とされ、
戦いで敗れた崇徳上皇側が敗走する所です。
この乱は皇位や摂関家の氏の長者をめぐる対立が鳥羽法皇の死をきっかけとして起こったものですが、
これまでもこのような対立ありましたが、策略と陰謀で決着をつけていました。
武士の台頭で政争が武力で解決され、以後、武士の力を無視できなくなります。
続く平治の乱では清盛に義朝が破れ、源氏が壊滅状態となり、
東国の武士たちも平家に従わざるをえなくなります。
二つの乱で勝ち残った清盛は破格の地位を得、天皇の外戚となり、
平家一門で高位高官を独占します。もとは平氏も源氏も天皇の子孫ですが、
何代にも渡って武家として地方に住むうちに、身分は低くなり、
貴族の侍(さぶろう)と蔑まれて呼ばれていました。
このよう身分の低い武士達は清盛に自分たちの権利と利益を守ってくれる政治、
武士の社会を作ることを期待しましたが、清盛は貴族化してしまい
結局、藤原摂関家と同じ道を辿ることになります。

頼朝の挙兵について東国の武士、中でも三浦一族が中心となって
頼朝を担いだと理解されたりもします。
平氏の勢力が衰えを見せていたとはいえ、まだ平家の時代であり、
「旗挙なんて何と無謀な」と言って参加しない武士も沢山いましたが、
「武士による武士のための新しい社会を作る」と誘えばどうでしょうか、
それまでひっそくしていた源氏やひそかに源氏に心を寄せていた武士が次々に蜂起したわけです。

 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。