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園城寺の名前の始まりを初めて知りました。 (yukariko)
2018-05-08 12:34:26
三井寺の名の起こりの閼伽井屋の湧泉(霊泉)も昔お寺を訪ねた時に読んだ筈ですがすっかり忘れていました。

昨年の桜の時期に再度友人達と訪ね、べんべんショップと文化財収蔵庫が新しかったので見せて貰いました。
源氏に味方して焼失したり、再興されたりと時代の渦に巻き込まれながらも時々の権力者に庇護されて昔の姿をそのまま伝えて今に至っているのですね。
 
 
 
今の堂塔は慶長以降復興した建物が多いです (sakura)
2018-05-08 17:16:39
平安時代中期から南北朝時代にかけて、三井寺は山門の攻撃などによって
記録に見えるだけでも十数度炎上しています。
以後も災難は続きます。

『園城寺再興略記』によると、「豊臣秀次事件に絡んで、
秀次に連座した北院の尭雲(ぎょううん)院に明石元知
が住んでいたとも、
三井寺が秀次に加担していたとの讒言により、わずかな堂塔を残して破却されました。」

三井の晩鐘の鋳造を命じた道澄(どうちょう)らの尽力で、
秀吉が死ぬ直前にやっと再興の許可がおりました。

すばやく再建されましたが、そのため各地の寺院より移されたものも多いです。
寺宝の多くは道澄が京都市左京区の自身の住坊に移すなどして、
奇跡的に守られました。

 
 
 
園城寺 (揚羽蝶)
2018-05-11 00:32:31
 園城寺は、天智、天武、持統 三天皇の大津京の時代からの由緒あるお寺ですね。金堂にも立派な仏像が沢山
あったと記憶しています。延暦寺との抗争や以仁王を、
かくまわれたことで、平家に攻められたり(とりあえずお詫び申し上げました。)南北朝の争乱でしばしば、焼失したがすぐに再興されたのは、凄いです。
とても広い滋賀を代表するいいお寺です。
 
 
 
Re:園城寺 (sakura)
2018-05-11 08:34:57
揚羽蝶さまは、金堂の内部も拝観なさったのですね。
このお堂は秀吉の正室北政所の寄進により、毛利輝元らが造営したとされ、
桃山時代を代表する名建築として知られています。優美で風格がありますね。
以前拝観した時には、、金堂の屋根の吹き替え工事中だったため、
巨大なテントで覆われていて、残念な思いをしたこともありました。

素人の私にはよくわかりませんが、
広大な境内に建つ堂塔は、さまざまな建築様式で建ち、
統一感のない寺の景観を作り出しているそうです。

これは秀吉が三井寺に闕所(けっしょ)を申し渡し、
石田三成らが奉行として乗り込み堂塔を破壊、
慶長3年闕所が解かれた後、急いで再建されたため、
三重の塔が家康によって比蘇寺(吉野郡)より、
一切経蔵が毛利輝元によって周防国国清寺より、
食堂(釈迦堂)が御所の清涼殿を移築など、
各地から移されたものも多いため時代を御する
統一的な様式が失われているためとされています。
 
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