コメント
 
 
 
凄い努力をして下さっているのですね! (yukariko)
2010-10-24 14:12:40
「源頼朝開帆處」の文字は読めませんね。
碑の文字が読めない事はよくあり、諦めるより仕方ないと思っていましたが、sakura様はきちんと問い合わせてUPして下さるので感嘆しています。

「源頼朝開帆處」と「頼朝船出の浜の碑」の背景が違うので設置は別の場所かと思って読みましたが、最後の注釈に「背中あわせ」と書かれているので謎が解消。書き込みありがとうございます!

後ろに迫る伊藤入道の軍勢を尻目に間一髪岩ヶ崎から船出、でも強風に敵が陣を張る海岸に吹き寄せられたものの、敵が気付かない間に酒肴・食料を集め、洲崎目指して再出発…とは、読み物顔負けのの筋書きですね。
頼朝は強運の持ち主ですが、従った者達もそれぞれに強運ですね。
でも創作、読み物なら出来過ぎでそんなに都合よく運ばないよ!と批判が出た事でしょう。
新しい時代を切り開く運命を持った人の頭上には見えない神仏の意思が働いているのかもしれませんね。
丁度明治維新の直前に彗星のように現れ、政治の舞台を急展開させて、使命が終わると結果を見る事なく世を去った坂本龍馬のように…。

 
 
 
史実通りでないにしても (sakura)
2010-10-25 10:04:37
源平盛衰記は物語なのですべてが事実かどうかは疑問ですが、本当に頼朝も実平も強運の持ち主ですね。また敗者側であるにもかかわらず、実平が呼びかけると家人が次々と酒肴を運んできた所などを読むと、実平が領民に信頼され慕われていとのではと思われます。
また頼朝をかくまい石橋山から土肥山中、箱根権現と険しい山々を駆けまわっていますが、当時、実平は決して若くはなかったはずです。その気力、体力のたくましさ、冷静な判断力、新しい時代を切り開くに相応しい人物です。
今回「源頼朝開帆處」 について真鶴町生涯学習課に問い合わせたところ、すぐに回答を送ってくださいました。困ったときには遠慮せずに尋ねてみるのも一つの方法かもしれませんね。
 
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