コメント
千手に重衡が鎌倉に下る折の出来事を語った事でしょうから。
(
yukariko
)
2014-06-13 14:11:16
平重衡は鎌倉に護送される途次、池田宿(現、静岡県磐田市)の長者、熊野(ゆや)の娘侍従のもとに一夜の宿をとり…その時の歌のやり取りは重衡にとっても印象深かったでしょうから、千手にも語った事でしょう。
重衡亡き後、その侍従や侍女朝顔の暮らす庵(寺)を訪ねて共に暮らした…祇王妓女と仏御前の話を思い出しますね。
平安の小野小町や後深草院二条(とわずがたり)が全国を行脚して回った話とかがありますから、善光寺での修行とかもありえるでしょうが、やはり善光寺の宣伝のような気がしますね。
思い出しますね!
(
sakura
)
2014-06-14 11:05:18
伝説というとがっかりしてしまいしますが、
この地で千手の伝説が生まれた
背景や歴史を大切にしないといけないと思います。
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重衡亡き後、その侍従や侍女朝顔の暮らす庵(寺)を訪ねて共に暮らした…祇王妓女と仏御前の話を思い出しますね。
平安の小野小町や後深草院二条(とわずがたり)が全国を行脚して回った話とかがありますから、善光寺での修行とかもありえるでしょうが、やはり善光寺の宣伝のような気がしますね。
この地で千手の伝説が生まれた
背景や歴史を大切にしないといけないと思います。