コメント
 
 
 
清盛と遊女が隣り合っているというのも (自閑)
2016-05-30 07:56:31
sakura様
清盛の塚と阿古屋の塚が隣り合っているのも、阿古屋のその後の人気を示すものですね。
阿古屋は、真珠の異名で、アコヤガイの語源となっているとの事。瑠璃にしろ阿古屋にしろ、遊女の名前は宝石からとられる事が多かったかも知れませんね。
 
 
 
遊女の名 (sakura)
2016-05-30 09:28:57
自閑さま
阿古屋の語源がアコヤガイですか、始めて知りました。
ありがとうございます。
江戸時代、清水寺につながる二年坂には、水茶屋が軒を並べ
「阿古屋茶屋」と呼ばれていたそうです。
これも「出世景清」や「壇ノ浦兜軍記」「解脱」が上演され、
人気を博していたためと思われます。
 
 
 
sakura様のブログで「六波羅」が取り上げられていたので訪ねています。 (yukariko)
2016-05-30 12:43:27
2009年8月に六波羅~六波羅蜜寺~六道珍皇寺一帯を歩いてます。
その時に宝物館や清盛塚や阿古屋塚も見ている筈ですが
「景清」をよく知らないから歌舞伎の「阿古屋の琴責め」で有名な「阿古屋」だなあと思って見ただけだったのでしょう。
玉三郎や仁左衛門のお芝居はTVであったらうっとりと眺める程度のファンなので石塔周辺整備の話を『へぇ~!』と思い、詳しく知らなかった時代背景を今回の景清と阿古屋、そして畠山重忠への解説で納得して読ませてもらいました。
 
 
 
そうでしたね! (sakura)
2016-05-31 07:10:20
真夏の六波羅をお歩きになるのは大変でした。

NHKの教育テレビで古典芸能の番組を放送していますね。
放送時間が変更になり、あまり見なくなりましたが、
以前は土曜日の午後だったので、時間があるときは見ていました。
 
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