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いつも楽しく学ばせていただいております (kuniko)
2015-06-25 16:41:34
 貴ブログを拝読させていただくようになりましてから、平家や義経のことに興味が深まり楽しく学ばせていただいております。
 義経伝説は本当に全国にあるのですね
判官贔屓の日本人という特性を差し引いても、これだけ各地に逸話が残っていることはそれだけ魅力的な人物ということでしょうか。

私の居住地石川県を少し探してみましたら!もうこぼれるほどに多いことに改めて驚いてます。安宅関くらいは知ってましたが・・・。
富樫の館に行った弁慶の帰りをまち、義経主従が仮眠したという「一夜泊まりの宮」など、私の家からすぐ近くの大野湊神社だったことにもびっくりです。あらためて義経のことを知りたくなりました。

北陸には本当にこれでもかという義経伝説が残されていることに感動しています


 
 
 
情報ありがとうございました。 (sakura)
2015-06-26 08:13:11
大野湊神社には義経の伝承があるそうですが、
物語ゆかりの地が近くにあると、平家物語が身近に感じられますね

兄頼朝に追われる身となった義経が鎌倉方の厳しい追及を逃れて、
どのような経路で奥州平泉に辿り着いたのか史料がなく分かりませんが、
「義経記(ぎけいき)」や謡曲「安宅」歌舞伎「勧進帳」では
義経一行の逃走経路を北陸道としているので、義経伝承が
北陸地方から能登半島の海岸部にかけて多くあるのでしょう。

「義仲記」に義経が平泉への途中、白山比神社や金剣宮に詣でたと書かれ、
金剣宮の境内にも玉垣に囲まれた「義経腰掛石」がありました。

義経ほど愛された武将はいないでしょうね。
源氏の棟梁源義朝の子として生まれながら、幼くして父を失いさらに母とは生き別れ。
長じては功多くして報われなかった義経への哀惜が
判官贔屓という感情を生みだしたようです。
私も平家物語という作品を取り上げ、学びながらブログを更新させていただいています。


 
 
 
今のように開発され住宅地になっていても… (yukariko)
2015-06-28 23:02:30
以前車で連れて行ってもらった時も神戸のはるか奥の山中は見晴らしは素晴らしくても高低も激しく、車でさえきつい勾配の道を上り下りしました。
氷室神社も住宅地の奥でそこからは深い山のようですね。
源平の昔はまして人跡未踏の深い山、道は間道、杣道しかない所をものともせずに人馬一体で武者が駆け抜けてくれば、平地の戦の経験さえ少ない平氏の武者に守りきれなかったのも仕方なかったでしょう、猛将だって一人では戦えませんもの。
義仲との倶利伽羅峠の戦でも意見の不一致や戦況を甘く見て大敗、でも経験不足の大将の器量だけで負けたのではないですね。
昔からずっとすごい判官贔屓だったのですけれど、このブログを読み始めてからは平家に哀惜を感じてます。
 
 
 
山、海へ行く (sakura)
2015-06-29 14:40:55
神戸は山と海にはさまれ平地が少ないため、古くから
埋立て工事が行われてきました。

ポートアイランド、六甲アイランドの埋め立ての土は、山を削り海へと運ばれ、
土をとったあとの土地は住宅地として開発され、
新興住宅地が海岸から山麓まで切れ目なく続いています。
また山を切り開き、谷を埋めてゴルフ場も建設されています。

このようなことから、源平合戦当時の神戸の地形は、今よりずっと山がちの地形だったと思われます。
住宅地奥の氷室神社も高台にあり裏手は深い山です。

 
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