コメント
「以仁王」の「王」の称号が不思議だったので…
(
yukariko
)
2008-05-14 09:22:16
詳しい解説をありがとうございます。
以仁王は平氏によって親王宣下をしてもらえなかった、皇位継承順位の高い、親王だったのですね。
長い間「○○王」というのは親王の息子の称号だと思い込んでいました。
だから昔「平家追討の令旨を諸国源氏に下して挙兵」と本にあるのを読んで、令旨を出せるぐらいTOPなのかな?と不思議に思ったものでした。
平氏が擁立する天皇候補の有力な対抗馬であったなら、一門は彼に一縷の望みをかけて期待したでしょうし、平氏一門からは邪魔者としてことごとくひどい仕打ちをされたことでしょう。
生活の糧を得ていた領地を取り上げられたら『死ね!』と言われたのと同じですものね。
中々うまく解説できません!
(
sakura
)
2008-05-14 16:49:07
少し記事にプラスさせてください。
以仁王と兄守覚が寺に入ったのは、後白河法皇の第一皇子である二条天皇の皇位が約束されていたからで、控としての役割を失った皇子が寺に入るのはよくあることでした。
1162年に最雲が没し出家してなかった以仁王は寺を離れますが、
1165年夏には二条天皇が若くして亡くなりわずか二歳の六条天皇が即位しますが天皇は幼い上、母の出自も卑しく、同年12月以仁王はこっそり元服しています。
以仁王が元服するとすぐ高倉天皇が親王宣下を受け、元服にかかわった母の兄弟や後白河法皇の寵臣が解官されています。
この辺以仁王の皇位継承を恐れた後白河法皇の寵妃建春門院と平家の素早い処置ですね。
コメントに書いていただいたように、
以仁王の母方の家系は天皇家外戚として長い間勢力を誇っていましたが、
その勢いにもかげりが見え始めていた頃ですから以仁王の皇位には期待したと思います。
天皇の子であっても宣下を受けないと王と呼ばれたり、
「源」等の姓をうけて皇族をはなれることになるようです。
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以仁王は平氏によって親王宣下をしてもらえなかった、皇位継承順位の高い、親王だったのですね。
長い間「○○王」というのは親王の息子の称号だと思い込んでいました。
だから昔「平家追討の令旨を諸国源氏に下して挙兵」と本にあるのを読んで、令旨を出せるぐらいTOPなのかな?と不思議に思ったものでした。
平氏が擁立する天皇候補の有力な対抗馬であったなら、一門は彼に一縷の望みをかけて期待したでしょうし、平氏一門からは邪魔者としてことごとくひどい仕打ちをされたことでしょう。
生活の糧を得ていた領地を取り上げられたら『死ね!』と言われたのと同じですものね。
以仁王と兄守覚が寺に入ったのは、後白河法皇の第一皇子である二条天皇の皇位が約束されていたからで、控としての役割を失った皇子が寺に入るのはよくあることでした。
1162年に最雲が没し出家してなかった以仁王は寺を離れますが、
1165年夏には二条天皇が若くして亡くなりわずか二歳の六条天皇が即位しますが天皇は幼い上、母の出自も卑しく、同年12月以仁王はこっそり元服しています。
以仁王が元服するとすぐ高倉天皇が親王宣下を受け、元服にかかわった母の兄弟や後白河法皇の寵臣が解官されています。
この辺以仁王の皇位継承を恐れた後白河法皇の寵妃建春門院と平家の素早い処置ですね。
コメントに書いていただいたように、
以仁王の母方の家系は天皇家外戚として長い間勢力を誇っていましたが、
その勢いにもかげりが見え始めていた頃ですから以仁王の皇位には期待したと思います。
天皇の子であっても宣下を受けないと王と呼ばれたり、
「源」等の姓をうけて皇族をはなれることになるようです。