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義仲の子孫は義高が殺され絶えたと思っていました (yukariko)
2012-05-11 14:12:01
人質として鎌倉に差し出されていた義高と政子の産んだ大姫が許嫁の間柄で、義高が殺された事で大姫が精神を患ったという話を昔読んだ事がある気がします。
そのせいか、血統は皆殺しにする源家の習いどおり義仲の後継者はいないものと思っていました。
3代で滅びた源家嫡流と違って、家康に所領を没収され20代が没落したにせよ、12C末~16C始めまで続いたのは立派(笑)
木曽を統治した山村木曽代官や犬山城主成瀬正幸(母堂)の保護もあって菩提寺や史跡、数々の資料が残され後に整備されたのは素晴らしい事ですし、それを丹念に調べ上げてご紹介下さったのが嬉しく、ありがたいです。
 
 
 
研究の余地はありますが (sakura)
2012-05-12 14:39:17
義仲の子孫と称されている木曽氏、その七代家村あたりまでの動静は必ずしも明確な答は得られてなく、
木曽氏の系図は二十代義利まで記されたものがいくつかあります。
ここで使わせていただいた系図は木曽代官山村家によって編纂された「木曽考」によるものです。
木曽氏については考えるべき課題もあるようですから
これからの研究がまたれます。
日義村の旗挙八幡宮境内に義仲の子孫千村氏の「義仲公出陣の地」の詩碑が建っていました。

お伽草子「清水冠者物語」に源氏が三代で滅びたのは
義高を殺された大姫の恨みからとあります。
 
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